工藤 和直 2017年7月3日(月) 23時10分
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平安時代、桓武天皇によって征夷大将軍として任命された坂上田村麻呂がいるが、坂上氏も同じく大蔵一族である。秋月氏は、先祖を中国人とする一族である。写真は筆者提供。
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この秋月種茂公は米沢藩上杉鷹山公(写真2)の実兄で、記載したように弟に勝る治世を高鍋で実践した名君である。鷹山公も同じく日向高鍋第6代藩主・秋月種美の次男として生まれたが、母方の祖母豊姫が米沢藩第4代藩主・上杉綱憲の娘であるこのことが縁で、10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となった。
時代はめぐり昭和34年(1959年)に明倫堂(高鍋東小学校:写真3)に入学したのが筆者であるが、多くの諸先輩・後輩が巣立っている。筆者の入社した住友電気工業の生みの親になる住友総理事、鈴木馬左也(写真4)も高鍋出身である。明治37年44歳の若さで第三代住友総理事に就任、「自分は正義公道を踏んで、皆と国家百年の仕事をなす考えである」と決意表明、明治44年には現在の住友金属・軽金属・電気工業の設立を契機に、化学・商事・日本ガラスなど鈴木が起こした事業は現在もまた国家百年の事業として活躍している。人材の育成にも注力、大阪鰻谷に「寧静寮」という独身寮を立て、自分の思いを伝えるべく度々寮に宿泊、若者と忌憚なく語り合ったという。筆者の入社した時も同じく宝塚仁川に「寧静寮」があったが、阪神淡路大震災後に残念ながら取り壊された。鈴木馬左也は1922年(大正11年)12月25日に享年62歳で没した。墓は秋月家菩提寺「竜雲寺」の近くにある。
小さな町ではあるが、初代大審院検事総長となる「三好退蔵」、最後の連合艦隊司令長官となった鬼瓦の名将「小澤治三郎」海軍中将、最近では、芸能界で活躍中の今井電器店のひとり娘である「今井美樹」が同じく高鍋東小学校の出身になる。筆者は中央通りにかつてあった鹿児島銀行高鍋支店の裏の社宅に居たが、北隣が九州電工、その北隣が今井電器店であった。昭和34年に我が家にテレビなる高級家電が置かれたが、その時に杉木で高いアンテナを家の横に立てた。その工事を美樹ちゃんのお父様が登って完成させたと記憶している。中央通りを北進すると、幻の焼酎「百年の孤独」を造る黒木酒造本店(社長の黒木敏之氏は筆者の1年後輩、現在の高鍋町長)がある。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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