<コラム>麻生副総理の「ヒトラー発言」…思慮足りない言葉は攻撃材料にされる、まして外交の場面では

如月隼人    2017年9月1日(金) 17時20分

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麻生副総理兼財務相が再び、ヒトラー絡みの問題発言をした。中国外交部の華春瑩報道官は8月31日の定例記者会見で、麻生副総理個人だけではなく日本の政界に存在する大きな問題として批判した。資料写真。

麻生副総理兼財務相が再び、ヒトラー絡みの問題発言をした。中国外交部の華春瑩報道官は8月31日の定例記者会見で、麻生副総理個人だけではなく日本の政界に存在する大きな問題として批判した。

麻生副総理8月29日に行った自民党自派閥の研修会で、「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺したヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくても駄目だ」と発言。ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺を擁護したとも理解できる発言で、日本国内で多くの批判が出ると翌30日には「ヒトラーを例示としてあげたことは不適切であり撤回したい」とのコメントを発表した。

麻生副総理は2013年にも憲法改正に関連して「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒(けんそう)の中で決めないでほしい」などと発言して批判を集めた。

冷静に考えれば、麻生副総理を擁護できる面もある。過去の政治家あるいは政治勢力について「やったことはすべて悪」あるいは「すべて善」と断定することにはかえって無理がある。後世の一般的評価とは別に、「どこが間違っていたのか」、「どこはよかったのか」、「どこからおかしくなったのか」と自らが客観的に分析することは、政治に携わる者として、むしろ「教訓を得るための良心的な作業」と言える。

しかし、自らの言動がどのような反応を呼ぶのかとの「計算ができていない」ことが原因で混乱を引き起こすことは問題だ。世間が敏感に反応する話題でも、どうしても発言すべきと信じるなら、発言をすべきだろう。それは政治家としての良心にかかわることだ。

ただその場合には、自分の意図を正しく伝えるために、言葉を慎重に周到に選ばねばならない。不用意な発言をして「真意は違った」と撤回するようでは、政治家として重要な資質に疑問を投げかけられてもしかたない。

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