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黒竜江省ハルビン市にある東北烈士記念館に中国語と日本語の資料が届けられた。
今年4月、黒竜江省ハルビン市にある東北烈士記念館に中国語と日本語の資料が届けられた。資料の最も重要な部分は、劉芳生という青年が親日傀儡政権下で突然行方不明になったことに関する調査であった。
劉芳生とは誰なのか。
資料を送ったのは、76歳の日本人、長谷川清司さんである。長谷川さんは大学で歴史を専攻するなかで、中国語に強い興味を持ち、卒業後、余暇を利用して中国語の勉強を始めた。ハルビンから日本に嫁いだ劉書卿さんが長谷川さんの中国語の先生となった。劉芳生とは、その次兄にあたる。
長谷川さんは、先生から次兄について語るのを何度も聞いた。彼は1937年に行方不明となり、遺骨も戻らなかったことを知った。その話をするたびに涙を流す先生を見て、長谷川さんは劉芳生を探したいと思うようになった。
2009年、60歳になった長谷川さんはハルビンに留学し、同時に劉芳生に関する情報を探し始めた。インターネットや図書館、データベースなど、思いつく限りの場所を調べた結果、『日本軍暴行録』という書籍の中で劉芳生の名前を発見。彼は、旧ハルビン法政大学の卒業生で、裏切りによって親日傀儡政権に捕らえられ、惨殺されたことが明らかになった。その後十数年にわたり、長谷川さんは何度も中日両国を行き来して資料を集め、手がかりを整理し続けた。
長谷川さんの調査が進むにつれ、劉芳生が中国共産党の地下活動に従事し、勇敢に戦い、命を落とした生涯が浮かび上がった。彼を殺害した日本人加害者の存在や、日本軍が隠蔽しようとした歴史も次第に明らかになった。長谷川さんはついに劉芳生の全体像を世に示したのである。
長谷川さんのように、真実を追究し、良識を持って歴史と向き合う日本人は少なくない。彼らは自分の行動によって平和への追求と正義の堅守を示している。
尾山宏さんもその一人だ。日本の著名な弁護士であり、1990年代から、第二次世界大戦の中国人被害者のための活動に身を投じてきた。自費で弁護団を組織し、何度も中国を訪れて、戦争中に日本軍による暴行で被害を受けた中国人を支援した。訴訟の過程で、日本国内の右翼勢力から大きな圧力や脅迫にさらされ、人身攻撃まで受けても、一歩も引かなかった。尾山さんは、被害者の苦しみが真実で重いものであること、彼らのために正義を取り戻すことが歴史的正義を守ることだと理解していた。
元教師の松岡環さんもまた、1988年から南京大虐殺の真相を追い続け、約350人の生存者と250人の元日本兵を取材した。南京大虐殺の関連書籍を6冊出版し、『南京 引き裂かれた記憶』など3本のドキュメンタリー映画を制作した。松岡さんは、日本の学生を中国侵略日本軍南京大虐殺遇難同胞記念館に案内し、戦争の残酷さと平和の尊さを実感させた。松岡さんは、自らの努力を通じて、より多くの日本人に歴史の真実を伝え、若い世代にその痛ましい教訓を記憶してもらうことで、歴史の悲劇が再び繰り返されることのないようにしたいと考えている。
今日9月18日は、九一八事変から94年にあたる。94年前の今日、瀋陽市の柳条湖で起きた爆発が、日本による中国侵略戦争の罪深い幕開けとなった。中華民族の歴史的記憶に深く刻まれたこの日、中国人民にかつての苦難と屈辱を思い起こさせる。
日本の侵略行為は、中国人民に甚大な災厄をもたらしただけでなく、人類の歴史にも痛ましい傷跡を残した。しかし、歴史は憎しみの連鎖ではなく、教訓を汲み取り、未来を導くものである。過去を振り返るのは、憎しみを続けるためではなく、過去の痛みから学び、得がたい平和をより大切にするためである。日本には長谷川清司さん、尾山宏さん、松岡環さんのように平和と正義のために奔走する人々が数多くいる。彼らの行動こそが、「日本は隣国に信頼をいかに得るか」という問いに対する最良の答えとなっている。
世界は今、大きな転換点にあり、平和と発展は多くの試練に直面している。日本は歴史を直視し、かつての侵略と殺戮を真摯に反省してこそ、中国を含む近隣諸国の信頼を得ることができる。同じ過ちを繰り返さず、子孫のために平和と安寧を守ることが求められている。(提供/CRI)
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