日本にあった景福宮の扁額、約100年ぶりに韓国へ=韓国ネット「日本は反省しない」「誇れない歴史」

Record Korea    2025年2月5日(水) 11時0分

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3日、韓国・東亜日報などは「朝鮮王室の王宮、景福宮の璿源殿に掲げられていた扁額(へんがく)が、約100年を経て日本から戻ってきた」と伝えた。写真は景福宮。

2025年2月3日、韓国・東亜日報などは「朝鮮王室の王宮、景福宮の璿源殿(ソンウォンジョン)に掲げられていた扁額(へんがく)が、約100年を経て日本から戻ってきた」と伝えた。

記事によると、韓国の国家遺産庁と国外所在文化遺産財団が「昨年2月、日帝強占期に持ち出されたと推定される『景福宮璿源殿扁額』の返還を受けた」と明らかにした。扁額とは、部屋の中や扉の上に掛ける文字や絵の額のこと。国家遺産庁関係者は「朝鮮王室の文化遺産は故国に戻るべきだと所有者を説得した」と明かしている。

返還された扁額は横312センチ、縦140センチの大きさで、漆塗りの黒地に「玉の根源」を意味する「璿源」の字が金色で書かれている。朝鮮後期の文臣、徐承輔(ソ・スンボ)の筆とされるという。額の縁には「七宝」文様が描かれ、縁の四隅には雲の模様の彫刻が施されている。1868年に再建された景福宮の璿源殿に掛けられていた扁額と推定されている。

璿源殿は、歴代の王の肖像画を奉安し儀式を執り行った神聖な空間。朝鮮最初の璿源殿は1444年に景福宮が創建された時に作られたが、壬辰倭乱(豊臣秀吉による朝鮮出兵)の際の火災で焼失したとされている。1868年の景福宮再建で璿源殿もよみがえったが、日本統治時代、朝鮮総督府により取り壊された。現在、国立民族博物館のある場所に璿源殿があったという。

この扁額は2023年に日本の古美術オークションに出品され、存在を知られることとなった。持ち出された経緯については今後も調査が必要だが、1910~16年に朝鮮総督府の初代総督だった寺内正毅が景福宮の一部建物と共に日本に持ち帰ったとみられているという。

返還はライアットゲームズが後援した。実物は今月27日にメディア公開した後、国立航空博物館で所蔵・管理される。

この記事に、韓国のネットユーザーからは「福岡の小さな博物館でも朝鮮の国宝級の遺物が多数、所蔵されている。全て日帝時代に奪われた物だ。全て取り戻してほしい」「日本が奪っていったものを韓国はお金を払って取り戻したのか」「日本は最小限の良心もない民族だな」「日本は罪を反省しない」などの声が上がっている。

一方、「朝鮮王朝が国を守りきれなかった結果、奪われたんでしょ。ばかばかしい」「朝鮮王朝は党派争いばかりしていて日本に侵略された。とても誇れない歴史だ」といったコメントも見られた。(翻訳・編集/麻江)

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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