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改革派大統領誕生のイラン、10年内に大変動か=「厳格な宗教国家」とは程遠い一面も

長田浩一    2024年9月10日(火) 7時30分

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米国やイスラエルと激しく対立、核開発を進める一方で、イスラム体制への支持率低下にも直面している中東の大国、イラン。その動向は日本にとっても無視できない。写真はイランの首都テヘラン。

7月初めにイラン・イスラム共和国で行われた大統領選挙の決選投票で、改革派と言われるペゼシュキアン元保健相が保守強硬派の候補を破って当選した。同氏は欧米との対話を重視する立場。「保守強硬派による政策運営に不満を持つ人たちの受け皿として、支持を伸ばした」(NHK)とみられる。外交などの最終的な意思決定権は最高指導者のハメネイ師(85歳)が握っているため目立った変化は期待できないという見方もあるが、ハメネイ後の体制は不透明で、今後10年以内の大変動を予測する向きもある。米国イスラエルと激しく対立、核開発を進める一方で、イスラム体制への支持率低下にも直面している中東の大国、イラン。その動向は日本にとっても無視できない。

半世紀前、日本人青年にキス攻撃

私がイランという国を初めて意識したのは、1973年、高校三年の時だったと思う。この年、男子サッカーの20歳以下の王者を決めるアジアユース大会(現在のU20アジアカップ)がイランで開催された。当時の日本は今ほどアジアでの地位は高くなかったが、この大会は幸運にも恵まれて決勝に進出。最後は地元イランに敗れたものの準優勝に輝き、低迷していたサッカー界にとっては久々の明るいニュースとなった。

サッカーファンの私は、大会の模様を伝える専門誌を何度も読み返したが、「大会こぼれ話」的な記事中の某選手の発言にくぎ付けになった。正確ではないが、大意次のような内容だったと記憶している。「イランで僕たちの人気はすごかった。若い女性たちのキス攻撃は大変だった」。

多くの男性にとって、高校生といえば女性への関心が生涯でマックスになる年ごろ。しかし現実にはほとんど何も起きないもどかしい青春時代を送っていた私にとって、何とも刺激的なひと言だった。「いいな、いいなー。俺もイランに行きたいなー」と、心底思ったものだ(サッカーがうまくない私がイランに行ったところで女性にもてる訳はないのだが)。それにしても、この記事が事実なら、親欧米的なパーレビ王朝下のイランでは、若い女性が大っぴらに外国人男性にキスをする行為が許容されていたことになる。

それから5年後の78年の春先、私は西ドイツ(当時)のイザローンという小都市のドイツ語学校で学ぶ機会に恵まれた。学校には東欧諸国やトルコを中心に、世界各地からの留学生やビジネスマンが集っていたが、その中にイランからの女子留学生の姿があった。幸か不幸か個人的に言葉を交わす機会はなかったが、彼女のふるまいやファッションは欧米の女性と何ら変わるところはなく、キス攻撃記事は誇張ではなかったのだな、と納得したものだった。しかし、ちょうどこの頃からイランではイスラム教勢力による反体制運動が強まり始め、次第に全国に波及。79年1月には国王が国外退去してパーレビ王朝が崩壊。4月にイスラム共和国の樹立が宣言された。

酒・豚肉もOK、国民は世俗的

イラン革命後の同国のイメージは、「キス攻撃」から連想されるものとは正反対だ。厳格なイスラム教の教えが社会を支配し、酒はご法度。女性は誰もがスカーフやチャドル(体全体を隠す布)で髪や体を覆い、外国人はもちろん、夫以外の男性との接触は禁止。「70年代には欧米と同様のライフスタイルで暮らしていた人たちもいたはずで、彼らはどうしているのだろう」と疑問に感じることもあったが、政府の締め付けが厳しい中、イスラム共和国体制に同化せざるを得ないのだろうと思っていた。日本人の多くは、私と同様のイメージを抱いているはずだ。

そんなステレオタイプのイラン観を根底からぶち壊す本が今年出版された。同国に長期にわたり滞在した若宮總さんが執筆した「イランの地下世界」(角川新書)がそれだ。ちなみにこの著者名はペンネーム。本名を明らかにしたら、「好ましからざる外国人」として入国を拒否される可能性があるからだ。それだけに、著者の狙いである「一切の忖度なく事実をありのままに伝える」ことができたといえる。

同書によると、1979年のイスラム革命直後は、イラン人の多くは敬虔で、かつ宗教上の最高指導者(当初ホメイニ師、のちハメネイ師)が統治するイスラム共和国体制を支持していた。しかし、その後のスカーフの強制や言論弾圧、イラン・イラク戦争(1980~88年)、経済の低迷などを経て、現在は過半数が「イスラム体制を支持しないことはもちろん、もはや熱心なムスリム(イスラム教徒)ですらない」という。今回の大統領選挙の結果も、この指摘を裏付けていると言える。

敬虔なイスラム教徒でないことは、当然ながら行動に表れる。スカーフを適切に着用していないという理由で警察に拘束された女性の不審死をきっかけに燃え上がった2022年の反政府運動以後、スカーフで髪を隠さない女性が増加。イスラム教でタブーとされている豚肉や酒、さらにはマリファナなどの薬物も、その気になれば比較的簡単に手に入る。最近はイスラム教から離れる若者も少なくないという。本書の解説で高野秀行氏(ノンフィクション作家)が書いているように、「イラン・イスラム共和国は世界で最もイスラムに厳格な国家なのに、国民の圧倒的多数を占めるイラン人ムスリムは世界で最も世俗的」というパラドックスが存在するようだ。

最高指導者ハメネイ師の退場でどうなる?

同書で興味深いのが、周辺のアラブ諸国や、友好国とされるロシア、中国に対する一般イラン人の見方だ。われわれ日本人はイランとアラブの区別がつかず、ほとんど同一視しているきらいがある。しかし、かつてイラン高原を中心に中央アジアから現在のトルコ、エジプトまで支配した古代のペルシア帝国(アケメネス朝、ササン朝など)を7世紀に倒したのは、イスラム教を奉じたアラブ軍だ。イラン国内では近年、古代ペルシア帝国への憧れの強まりに比例する形で「アラブ嫌い」の風潮が年々高まっているという。イラン政府の公式の立場とは異なり、昨年10月以降のガザをめぐる武力衝突では、若者を中心にイスラエルを支持する国民が多いとの指摘には驚かされる。

また、イラン政府は近年、ロシア、中国との関係を深めているが、支持率が低下しているイスラム体制をバックアップしているとして、この両国も国民の間では人気がない。そもそもロシアは、19世紀以降一貫してイランの領土を侵食してきた国だし、中国に対しては、一般国民の多くが「(欧米諸国の)経済制裁下で生じた空隙を突いてイランを食い物にする『招かれざる客』」と呼んでいるという。実は、イラン国民に最も好かれている外国は日本なのだが、日本人のイランへの関心は薄く、イラン側の「壮大な片思い」になっていると説く。

最後に筆者は、今後10年程度の間にイラン政治に大きな変化が起こる可能性があると予測する。10年というのは、今年85歳になるハメネイ師の退場が、一つのターニングポイントになるとみられるからだ。イスラム体制は今のまま存続できるのか、形を変えるのか。国民の一部に強い願望のあるパーレビ王朝の復活(前国王の息子が米国に居住)があるのか。それとも…。

7月下旬に日本記者クラブで、「大統領選後のイランと中東情勢」のテーマで会見した田中浩一郎慶応義塾大学教授は「イスラム体制が支持を失っているのは間違いないが、次が見えない。人口9000万の国が混乱した場合の影響はとてつもなく大きく、その不安定性は対岸のアラビア半島に及ぶ。日本は依然として原油の95%をあの地域から買っている」と語り、危機感を隠さなかった。予想されるイランの政治変動は、日本にとって決して他人事ではない。今後の動向に注目したい。

■筆者プロフィール:長田浩一

1979年時事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長などを歴任。現在は文章を寄稿したり、地元自治体の市民大学で講師を務めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中国との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外国の地は北京空港でした。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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