敦煌研究院の樊錦詩名誉院長（以下、樊院長）は1938年7月生まれなので、現在は85歳だ。敦煌莫高窟関連の仕事を始めて60年にもなる。樊院長の愛称は「敦煌の娘」。そして最近になり、樊院長は「星になった」という。中国メディアの中国新聞社はこのほど、樊院長の歩みや思いを紹介する記事を発表した。以下は、その主要部分だ。

夢と現実のあまりの落差に涙した日々

樊院長は北京大学歴史学部で考古学を専攻した。卒業後には、敦煌研究院の前身である敦煌文物研究所で働くことになった。樊院長にとって敦煌は「夢でした。特別に素晴らしいと思っていました」という。しかし、現実は「夢」を打ち壊した。莫高窟周辺は、どこまでも続く砂丘と砂漠だった。画家であり莫高窟の保護と研究に打ち込んでいた常書鴻氏や段文杰氏と出会ったが、樊院長が思い描いていた芸術家の風貌ではなく、「田舎のおじさん」のような風貌だった。樊院長は土づくりの家に住み、土づくりのオンドルで寝た。飲み水には塩分が含まれていて、食べ物は雑穀だった。1960年代の莫高窟は外界からほとんど隔絶された場所だった。物資は極度に乏しかった。

喪失感を覚え、何度となく涙を流した。樊院長は「ためらったことも、動揺したこともなかったと言えば、うそになります」と説明した。しかし「翌日になり石窟に入ると、どんなに苦しくても疲れていてもやりがいがあると感じました。自分の全精力を考古学の研究につぎ込んでこそ、その時は心の中の不快感を忘れることができました」という。次第に現地での生活に慣れた。夜中に土ほこりと一緒にネズミが枕元に落ちてくることもある。そんな時には残っている土を払いのけ、何事もなかったかのように眠り続けるようになった。

樊院長はその後、長年をかけて敦煌石窟の考古学的期間分類を行い、莫高窟の大部分の洞窟の年代を徐々に明らかにした。そして参加した「敦煌石窟全集第1巻・莫高窟第266～275窟考古学報告」が完成した。この成果は、莫高窟の考古学研究にとって模範的な意義を持つという。

考古学の研究の報告である「敦煌石窟全集」は、樊院長の最初の仕事であり最後の仕事でもある。現在は10年余りをかけて編纂され、文字部分は30万字以上に達した「第2巻・莫高窟第256、257、259窟考古報告」の出版が控えている。樊院長が現在、最も気にかけている仕事だ。

莫高窟は1940年代には満身創痍の状態だったが、1960年代には輝きを取り戻していった。最初は「田舎のおじさん」のように見えた常書鴻氏や段文杰氏が、実際には「敦煌の守護神」として遺跡の保護に尽力したからだった。樊院長も先輩の仕事を受け継いで、遺跡を守る「不屈の戦士」になった。

若いころは内向的で無口だったが、納得できなければ、他人と大胆不敵に論争するようになった。樊院長に反論された側にすれば、まるで「言いがかり」をつけられたように思えることも多かった。樊院長のことを「厳しすぎて不人情」と評する人も現れた。

樊院長が「敦煌の娘」と言われるようになった最大の理由は、「母を守るためならどんなことも恐れない」という姿勢だった。敦煌研究を通じて友人になった米ゲティ保護研究所に所属する文化財保護専門家のネビル・アグニュー氏は樊院長を「彼女は寅年だ。莫高窟の保護については虎のように勇猛になる」と評した。

早くも1980年代にデジタル技術の活用を構想

莫高窟には多くの観光客が訪れる。より多くの人に文化財を見てもらうことは重要なことだが、見学者の増加は遺跡の保護と矛盾する。現在は、観光客はまず敦煌莫高窟デジタル展示センターに足を運び、自分の前後左右に球面投影される映像作品を鑑賞する。観光客は莫高窟と仏教文化の1000年の歴史を体感してから、実際の莫高窟を見学する。観光客は敦煌文化の神髄をより深く理解するようになり、同時に石窟内での滞在時間は短縮した。このような方式が実現したのは、樊院長が30年以上も前に、当時としては極めて大胆だった「デジタル敦煌」という概念を打ち出したからだ。

樊院長らは、莫高窟の古い写真と現状を比較したことで、壁画が非常に劣化していることに気づいた。樊院長は苦悩した。そして1989年に北京に出張した際に、パソコンを使っている人をたまたま見かけた。そのことがきっかけで、樊院長は、莫高窟の全735の洞窟とその壁画のデジタルアーカイブを作る構想に到達した。

「デジタル敦煌」資源ライブラリプラットフォームが開設されたのは2016年だった。2022年末には、「デジタル敦煌・開放素材ライブラリ」が世界に向けて開放された。2023年4月には敦煌学の研究成果とゲーム技術を結びつけた「デジタル蔵経洞」が発表された。敦煌研究院が30年以上をかけて現実化した「デジタル敦煌」という理念は先進技術を活用して、長期にわたって「引きこもって」いた文化遺産に新たな活力をもたらすことに成功した。

長年にわたる努力が認められ星になった「敦煌の娘」

北京大学は2023年7月13日、中国の紫金山天文台が発見した小惑星「381323」が同月10日、国際天文学連合によって「Fan Jinshi（樊錦詩）」と命名することが承認されたと発表した。同発表は樊院長による莫高窟遺跡の研究や保護、さらに「デジタル敦煌」の構築などを説明して「これらの功績は、彼女の60年にわたる遺産のほんの一部」と紹介した。

樊院長のもう一つの大きな功績とされているのが、後進の育成だ。敦煌研究院共産党委員会の趙声良書記は、「樊錦詩氏は心優しい年長者で、常に若者の成長に関心を持ってきました。若者が深く学び向上し、能力と特技を発揮して成功を収めることができるような環境づくりに努めてきました。私や多くの同僚は樊先生の手厚い育成により成長しました。私たちの後に、また次々と若い学生が敦煌にやってきています」と語った。

莫高窟関連の仕事に携わるものは皆、樊院長を敬愛しており、樊院長の「追っかけ族」の状態という。樊院長は若手から中堅の専門家を日本や米国、英国などの大学や研究機関に派遣して学習させることにも力を入れた。そのことでも、莫高窟に携わるチームのレベルが向上したという。

樊院長は、「私はもう80歳を過ぎていますが、生きている限り、中華文化の繁栄と隆盛のために心を砕き続けます」「どの世代にもその世代の使命があります。私は次の新しい世代がさらに自覚して文化の使命を担い、新たな時代にあって勇気をもって中華の優れた伝統文化の継承者、伝達者、革新者になることを心から望みます」などと語っている。（構成/如月隼人）