古建築や古い街並みの保護は何を指針とせねばならないのか―中国人専門家が紹介

中国新聞社    2023年8月8日(火) 19時10分

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中国には多くの古い建築物や古い街並みが残っている。次の世代にバトンタッチするには補修作業が欠かせない。しかしどのような状況を目指すべきなのか。写真は中国でも古い建築や文化財が特に多い西安市。

長い歴史を誇る中国には、多くの古い建築物や古い街並みが残っている。次の世代にバトンタッチするには補修作業が欠かせない。しかしどのような状況を目指すべきなのか。中国都市計画設計研究院で副総計画師の地位にある張広漢氏はこのたび中国メディアの中国新聞社の求めに応じて、中国における古建築や古い町並みの保護にまつわる状況を説明した。以下は、張氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

文革などで頓挫した古建築の保護もバージョンアップして再開

中国でも西洋でも、「古い物を残そう」という意識の対象は早い時期には芸術品や工芸品だった。その次に、人々の関心は建築物や遺跡にも向かうようになった。当初に保護の対象になった建物は宮殿や上流階級の人の屋敷、寺院、教会などだったが、その後になり民家や工房、酒場など昔の庶民の生活を知ることができる建築にも拡大された。

1960年代からは世界規模で古建築や古跡の保護への関心が高まった。1964年の「国際記念物の保護と修復に関する憲章」(ベネチア憲章)をはじめとして、さまざまな条約などが成立した。比較的新しい例としては、ユネスコ世界遺産委員会の公式諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が2005年に中国の西安市で総会を開き、文化遺産の背景となる環境の保護に関する「西安宣言」を採択した。

中国では、明代には「古跡」という言葉と概念が出現していた。清朝の支配者は文化財の毀損を厳しく禁じ、文化財・旧跡の修繕、再建、拡張作業にも十分に注意した。ただし、文化財を保護したのは、人類の歴史文化の遺産とみなしたからではなく、統治の維持に役立つという判断に基づくものだった。

中国近現代の古建築や古い街並みの保護は、1920年代にさかのぼる。1929年には中国造営学社が設立され、現代科学の方法で古代建築活動を系統的に研究し始めた。中華民国政府は1930年「古物保存法」を公布し、その実施要領である「施行細則」では、古建築も保護の対象にすることが盛り込まれた。1948年には清華大学の梁思成先生が主宰して「全国重要建築文物簡目」を作成した。

中華人民共和国も古い建築物などを重視する方針を引き継いだ。ただし1966年から76年まで続いた文化大革命期間中は、文化財や古跡は破壊された。文革終了後も1978年の第3回全国都市工作会議が、都市部での住宅建設への投資を増やして古い街並みの改造に着手することを決めるなどで、古い街並みの保護と経済発展の矛盾が増大した。

中国の国政提言機関である全国政治協商会議は1978から1982年の5年間、都市部の文化財を保護し、保護と発展の矛盾を解決する方法について討論と調査研究を行った。中国中央政府は1982年に「国家建設委員会などの部門によるわが国の歴史と文化の名都市の保護に関する指示」を発表てし、国家歴史文化名都市として第1期分24都市を発表した。これが、中国における歴史・文化名都市保護制度の幕開けだった。

中国の歴史と文化の名都市の保護活動はそれ以来、大きく発展した。保護制度が完備され、保護理念が進歩し、保護力が絶えず革新され、保護対象が絶えず拡充された。また、保護の経験も蓄積された。現在では、歴史や文化遺産の保護は社会全体のかなり一般的な認識だ。

保護の要点は「最小介入」と「可逆性」で、失われた建物の再建は不可

中国では古い美術品や工芸品について「修旧如旧」(古きは古いがごとく修理)、「修旧如新」(古くを新しいがごとく修理)という言葉があるが、これは科学的でも専門的でもない。国際的に合意された認識は「真実性」だ。中国の法律は「文化財の現状を変更しない」ことを要求している。さらに具体的には、「最小介入」と「可逆性」の大原則がある。すでに損壊して存在しない文化財は再建しない。どうしても再建が必要な場合も、考古学的成果や歴史的写真などの根拠があり、かつ厳格な審査と認可の手続きを経ねばならない。

例えば全国重点文物保護施設である河北省の正定県開元寺の保護だ。開元寺の鐘楼の上層部は清代に改築されたが、下層の木材は唐代末期のものだ。修復の際には現状通りに補修・補強され、唐代の姿には戻さなかった。明代の大修理を経ても明らかな唐の風格を保っている開元寺須弥塔も、現状のまま補強された。開元寺の境内には三門楼と法船殿があったが、近現代以前にいずれも破壊された。われわれは遺迹として保護して展示しているが、再建することはない。

古い建物や街並みについては「活性化利用」という方式もある。最初は香港・マカオ・台湾地区で登場し、近年になり大陸部でも南東部沿海地区を中心に採用されるようになった。地元政府がインフラの改善や古い建物の補修・補強を通して住民を旧市街に呼び戻したり、修繕された古い建物を利用して新たな文化的機能を導入したりすることを「活性化利用」と呼ぶ。

2002年に改正された中国文化財保護法は「文化財業務は保護を主とし、救出を第一とし、合理的に利用し、管理を強化する方針を貫く」と定めている。「活性化利用」は合理的な範囲内ならば、保護と矛盾しない。中国では活性化の歯止めとして「住民を大量に移転させたり、見学専用の観光地にすることしない」との方針を定めている。このような点について、洋の東西の保護の理念は基本的に一致している。

現在のところ、中国で古い街の活性化がよくできている都市は蘇州(江蘇省)、揚州(同)、平遥(山西省)、閬中(四川省)などだ。市よりももっと小さい行政区で活性化を上手くやっている場所も珍しくない。各地の行政が専門の部会を作るなどで努力することで、成功事例が次々に登場している。

中国古代の都市建設が西洋の大多数の都市と違ったのは、理念先行型だったことだ。「規則に従い、階層をはっきりさせる」といった礼法思想や、人によって構成される社会についても、人と自然の関係でも調和と共存が重視された。また、都市の治安維持でも「予防と治療」という、健康医学のような発想があった。中国は古くから、都市計画と都市の運営の先進地帯だったと言える。現在の古い建築物や古い街並みの保護でも、中国は独創的な文化遺産保護モデルを創出しつつある。中国で成功事例が出現すれば、中国以外の人々も中国の方式を参考にすることができる。その意味で、中国は世界文化遺産の保護に大きな貢献をしていると言える。(構成 / 如月隼人



※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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