人生90年の足跡―体験で語る日本と中国―(2)終戦直後の優劣地位の変化

凌星光    2023年4月5日(水) 7時30分

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コラム「人生90年の足跡―体験で語る日本と中国―」第2回は「終戦直後の優劣地位の変化」。

2.終戦直後の優劣地位の変化

戦争中は中国人としての劣等感を抱かされました。小さい頃は、どうして中国人として生まれたのか、と恨んだこともあります。が、日本敗戦によって、中国は戦勝国となり、地位は逆転しました。

中国は戦勝国の中でもとりわけ大きな存在で、国民党の軍隊が静岡県あたりに進駐するという話もあり、それを待ち続けました。が、国共内戦で進駐できなくなりました。とはいえ、終戦直後の一時期、日本の警察は在日中国人を取り締まる権限を失ったような状況が起こりました。交通機関を利用する時は、在日華僑は戦勝国民だということで、タダ乗りを強行しました。私自身も遠州鉄道で貴布祢から浜松に通う電車を、一定期間、定期を買わないで国民党バッジを胸につけて、「俺は中国人だ」と言ってタダ乗りをした経験があります。

ある時、中国留学生上がりの周某氏と一緒に東京に向かう列車の中で、乗車券の件で周氏と乗務員との間で口論となりました。その時、私は恥ずかしい思いをし、深く反省させられました。この乗務員は立派だ、日本人の気持ちを理解しなくてはならない、タダ乗りは道理に合わないと悟り、国民党バッジでのタダ乗りと縁を切りました。

それから、当時、日本国民は食糧難で貧窮の中にありましたが、在日華僑には台湾出身者も含めて、戦勝国民に対する特別配給がありました。また、統制経済の中で、闇の市場取引が盛んに行われました。華僑は戦勝国民で日本の警察は取り締まれないということで、闇物資の売買で金もうけをしました。私の父も機敏な商人であったため、この時期に財を成し、焼け野原の浜松で「大金持ち」と言われるほどにまでなりました。しかし、知見に欠け、賭博が好きで、結局10年足らずで財産をなくしてしまいました。

というわけで、地位や立場に変化が生じたとき、冷静に自分を見つめることの重要さ、相手や周りの立場や気持ちを理解することの必要性を学びました。

■筆者プロフィール:凌星光

1933年生まれ、福井県立大学名誉教授。1952年一橋大学経済学部、1953年上海財経学院(現大学)国民経済計画学部、1971年河北大学外国語学部教師、1978年中国社会科学院世界経済政治研究所、1990年金沢大学経済学部、1992年福井県立大学経済学部教授などを歴任。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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