中国最北の黒竜江省の名物料理に「驚きの秘密」―名調理師が解説

中国新聞社    2023年1月8日(日) 23時0分

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やや意外な感じもするが、中国最北部の内陸部にある黒竜江省には、中国でも最も多くの食文化が融合し、西洋料理の要素も大きく取り入れた、「竜江菜」などと呼ばれる料理体系がある。写真は竜江菜の調理例。

「そんな北のはてに?」と、やや意外な感じもするが、中国最北部の内陸部にある黒竜江省には、中国各地の料理の中でも最も多くの食文化を融合し、西洋料理の要素も大きく取り入れた、「竜江菜」などと呼ばれる料理体系がある。「竜江菜」の研究に長年にわたり携わってきた黒竜江省飲食調理業協会会長や黒竜江省飯店協会執行会長を務める張金春氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて「竜江菜」の形成や発展について、さらにその特徴や魅力、今後の方向性について語った。以下は金氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■料理が未発達だった黒竜江省、清朝末期の政治環境で一変

中国最北部にある黒竜江省は、肥沃で広大な土地に恵まれ、山や川、湖沼も多い。これらの環境により動植物資源が豊富であることが、多様な食材の利用につながった。さらに黒竜江省は「少数民族の集合住宅」という特徴もある。各民族が仲良く共存することで、黒竜江省ではさまざまな食文化が融合した伝統料理が形成されることになった。

黒竜江省はもともと、人口が少なく経済も発達しなかったので、料理体系は未発達だった。現在の竜江菜が形成されはじめたのは清朝末期だ。清朝(1368―1912年)は全中国を統一することになって以来、長城以南の住民が長城以北に行くことを極めて厳しく制限していた。しかし清朝末期には社会情勢に応じるために、移動の制限を緩めた。黒竜江省にも多くの移民がやって来た。また主要都市の対外開放も始まった。ロシアや日本などの列強が侵入したこともあり、黒竜江では人口が増え、経済活動も活発になった。また、北京や天津、山東などの料理を取り入れた飲食店も出現した。

北京や天津では当時、山東省の半島部である遼東半島に伝わる魯菜と呼ばれる料理に人気があった。南から黒竜江省に移住した人は主に山東省の出身者だった。そのため、魯菜は黒竜江の地に根をおろし、数十年の期間を経て、黒竜江の特徴を持つ魯菜が出現することになった。まずはこのようにして竜江菜が形成されることになった。

また、竜江菜には満州族、朝鮮族、ホジェン族の料理の特徴も取り入れられた。さらに、ハルビンにロシアから続く鉄道の主要駅が建設されたことも、大きく影響した。寒村だったハルビンが大都会になり、ロシア料理が持ち込まれた。当時は中国全土でロシア料理が流行したが、その原点と言える場所はハルビンだ。竜江菜もロシア料理の影響を強く受け、中国料理の中でも数少ない「洋食の風味」を帯びた料理になった。

例えば竜江菜のメニューの一つである「牛肉とトマトの煮込み」の起原はロシア料理のボルシチだ。串焼きもロシア式串焼きの影響を受けている。そして、竜江菜には脂っこい料理が多いというロシア料理と同様の特徴がある。しかしその一方で、生ものの和え物といった朝鮮や日本料理に近い料理も竜江菜の人気のメニューだ。

「牛肉とトマトの煮込み」

■さまざまな民族が共存してきた土地、多様な食文化が融合した

関連学界では、黒竜江を複合型飲食文化区と位置づけている。黒竜江は10世紀初頭から12世紀半ばまで中国北部を支配した遼、12世紀初頭から13世紀半ばまで中国北部を支配した金、清という三つの王朝の発祥の地であり、漢、満、モンゴル、ダオール、オロチョン、エベンク、朝鮮、ホジェンなど多くの民族の人々が暮らしてきた土地だ。さらにロシアなど欧州からの移民も加わった。多くの民族の文化が衝突し、融合した。そのことが、今日の独特な複合型飲食文化区が出現する基盤になった。

黒竜江省は満州族の発祥の地で、満州族の人々の生活方式や飲食の習慣は、黒竜江の料理に大きな影響を与えた。満族は早くから豚を飼育した民族の一つで、まだ竪穴式住居で生活していた時代に、満州族の人々はラードを摂取することで寒さをしのいで冬を越した。冬季用漬物の酸菜も、満州族が編み出した白菜の貯蔵方法だ。豚肉と酸菜を主たる食材にするのは、満州族料理の一大特徴だ。

そして、日本の「おこし」にも似ている菓子の沙其馬(シャーチーマー)、蒸し菓子の小餑餑(シャオボーボ)、団子の一種である粘豆包(ニエンドウバオ)、アワを蒸して作る小米撈飯は、中国各地で食べられるようになったが、元は満州族の主食だ。満州族料理の作り方は比較的単純だが、精巧に組み立てられており、今の竜江菜の土台の一つとなっている。

オロチョン、エベンク、ダオールは狩猟民族だった。彼らのが主に食べたのは肉の水煮や、ノロジカのレバーの生の和え物、乳製品、焼き飯などで、喫茶の飲酒の習慣もあった。これらの民族の料理は狩猟文化の一環だ。そしてホジェン族は漁労で生活を成り立たせた。彼らは魚を「刺身」にして食べた。魚の生肉を酢やその他の調味料で和えて食したのだ。焼き魚の場合には塩ととろみをまぶしてから、鉄串を打って直火で焼く。

これらの食文化が伝えた食材や、煮る、和える、煮込む、蒸す、炒める、揚げる、焼くなどの調理法は、いずれも竜江菜の基本になった。黒竜江ではさまざまな民族が、豊かな自然の恵みである食材を利用し、調理法を生み出した。その伝統を受け継いだ竜江菜は、山菜やジビエ、さらに淡水魚やエビなどの食材を使いこなす豊富な体系を獲得するに至った。竜江菜は多元的で包容力のある奥深い魅力を獲得した。そして現在は、人々の生活水準の向上や健康への関心の高まりに対応して、次第に淡泊で優雅、ヘルシーという方向性で、次第に変化しつつある。

粘豆包(ニエンドウバオ)

■社会の発展が竜江菜にとって歓迎すべき状態をもたらした

社会の発展は、竜江菜にとって歓迎すべき状態をもたらしている。中国では2022年の北京冬季五輪の開催決定が一つのきっかけとなり、ウインタースポーツへの関心がきわめて高くなった。黒竜江省ではウインタースポーツやウインターレジャーの関連産業が、比較的よく整備されている。そのため、黒竜江省への観光客は増え続けている。当然ながら飲食産業にとってもチャンスだ。

われわれが今後すべきことは、竜江菜をどのような脈絡で発展させていくかを真剣に整理することだ。また、古くから伝わる料理を継承し、さらに発揚させることも重要だ。同時に新たな料理技術を導入せねばならない。業界で標準を定め、そのことから業界をけん引することも重要だ。

インターネットで黒竜江省にある多種多様な食材を広めることも有効だ。まずは食材として通信販売し、そのすばらしさを知ってもらう。そうすれば、実際に黒竜江省に来てもらい、完成した料理としての「本場の味」を楽しんでもらうこともできる。そうすれば、省内の名店がブランド力を獲得することもできる。食材、料理、名店、美食街などで構成される、総合的な「美食の黒竜江」というブランドを確立せねばならない。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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