赤阪清隆 2022年12月11日(日) 10時0分
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SDGsの目標年があと7年余りと迫ってきた。
SDGs(持続可能な開発目標、sustainable development goals)の目標年(2030年)が、あと7年余りと迫ってきた。目下、焦点は、どうやって17もの目標と169のターゲットを達成するかに絞られており、まだその先をどうするかの本格的な議論は始まっていない。しかし、SDGsが国際的に合意されるまでには、20年以上の長い準備期間が必要であったことを思い起こせば、そろそろ、SDGsの先をどうするかを考え始めないと、間に合わなくなることを心配する。
日本では、SDGsの認知度は、旭硝子財団の2022年の環境危機意識調査によると、80%を超えており、世界的に見ても非常に高いレベルにある。小学生や、中学生もSDGsについて学んでいるほか、大企業の社員ではほぼ100%の認知度があるといわれる。よくこんなアルファベットの標語を覚えてもらえたと感心する。以前、日本ではカタカナに出来るユニセフやユネスコなどに比べて、OECD(経済開発協力機構)などカタカナに出来ないものはなかなか覚えてもらえないと言われていたが、ことSDGsについては異変と言ってもいいくらい人口に膾炙した。国連関係者などの努力によるところが大きいが、直前までのMDGs(ミレニアム開発目標)と違い、先進国の抱える問題を多く扱っていることも企業や人々の関心を高める要因になったと思われる。
SDGsは、2012年のリオデジャネイロでの国連会議での合意を受けて、2015年から2030年までの期間に達成すべき17の目標(貧困、健康、教育、ジェンダー平等、クリーンエネルギー、働き甲斐、不平等の是正、消費と生産、気候変動、海洋、生物多様性、平和と公正など)と169のターゲットを決めたものである。「持続可能な開発」というアイデアは、1987年の国連の委員会(いわゆるブルントランド委員会)からの報告から出たものだから、それから国際的な目標となるまでに、実に25年もかかった。このような大きな流れを生むようなアイデアというのは、それが国際的に認知され、共通の目標となるまでには、これほどの長い年月が必要なのであった。
SDGsの前には、2000年から2015年までの国連の開発目標として、「ミレニアム開発目標」(MDGs)があった。貧困撲滅、男女平等の教育、幼児や妊産婦の死亡率削減、エイズなどの病気の防止、水・トイレの確保など、8つの目標を決めたもので、期限までに相当大きな成果を挙げた。この目標を決めるにあたっては、1990年代を通じて様々な議論があり、特に、1996年のOECDの開発委員会(DAC)の「新開発戦略」が、MDGsの重要な地ならしとしての役割を果たした。これは、具体的な数値目標を決め、達成までのデッドラインを明確にするとのアイデアを基本にした戦略で、それがMDGsの骨格となった。
このDACの新開発戦略の策定にあたっては、日本がたいへん重要な役割を果たした。特に、小和田恒国連大使(当時)が、ニューヨーク駐在の各国の国連大使を巻き込んで、協議のための日本への招待外交など、縦横無尽の大活躍をしたことは、関係者の良く知るところである。MDGsの生みの親は日本だと自負しても、言い過ぎではないかもしれない。そして、MDGsを引き継いだのがSDGsなのだから、日本は、SDGsを生んだ祖父、祖母であるとも言える。日本人の感性として、謙遜、謙譲の美があり、そのような自慢話をする人は少ないが、歴史的な客観的事実として、日本内外でもっと知られて良いエピソードだ。
このような過去の例に照らすと、もうそろそろ、2030年をデッドラインとするSDGsの先の話をしだしても早すぎはしない。2023年は、SDGsの期間の中間点にあたり、4年に一度のグローバルSDGs報告が出されるし、国連でSDGsサミットも開かれるので、ポストSDGs、すなわち2030年の後の国際目標をどうするかの議論も始まるのではないかと思われる。議論が煮詰まって、具体的な提案が出てくるのは、おそらく2027年のグローバルSD報告が出される頃になるかもしれない。
2030年の後の世界を見越して考慮すべき要因としては、(1)不安定で不確実な世界、特に世界の自由民主主義圏と権威主義圏間の分断、(2)経済格差の拡大、(3)資源の枯渇、(4)AIなどの技術革新や生命工学、(5)長寿社会、(6)監視社会などの新しい課題がある。SDGsは2030年までにかなりの成果を挙げることができても、未達成の目標は相当程度残るであろう。そのため、SDGsを単純に期間延長するという選択肢もありえようが、新たな課題を考えると、それは安易に過ぎる気がする。
そもそも、MDGsにしても、SDGsにしても、数値目標を含んだ具体的な行動目標である。いわば、手段に関する目標であり、それから先の大目標、例えば、人々の幸福とか、ウェルビーイング(健康)などは、主観に属するとして、これまで個々人に任されてきた。貧困や病気をなくしても人々は必ずしも幸福になるわけではないが、まずは、衣食住を整えられる環境を作ろうとしてきたわけである。しかし、最近では、国連が関係する「世界幸福報告」とか、ウェルビーイングに関する様々な議論が進んでいる。そして、そのための客観的な指標づくりも試みられている。こうした人生の大目標も、ポストSDGsの議論の中で取り上げてみても良いのではなかろうか。その点、日本は、1998年以来積み上げてきた「人間の安全保障」という素晴らしいアイデアがある。これなども前面に押し出して議論する価値があろう。
「人はパンのみに生きるにあらず」(イエス・キリスト)、「健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」(WHO憲章)などの賢人、先人の教えもあり、そろそろみんなで人生の大目標を、SDGsの後釜の国際的な目標として、議論し始めてよい時期に来たと思われる。2030年は、もうすぐにやってくる。
■筆者プロフィール:赤阪清隆
公益財団法人ニッポンドットコム理事長。京都大学、ケンブリッジ大学卒。外務省国際社会協力部審議官ほか。経済協力開発機構(OECD)事務次長、国連事務次長、フォーリン・プレスセンター理事長等を歴任。2022年6月から現職。
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