中国新聞社 2022年8月11日(木) 19時10分
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西洋の博物館などは世界各地からの文化財を多く所蔵している。しかし博物館としては合法的に入手した場合でも、元はと言えば現地で略奪された場合も珍しくない。そのような文化財を返還する機運が高まっている。
中国メディアの中国新聞社記事によると、英国グラスゴー市は4月、市内の博物館が保管してきた青銅器17点をナイジェリに返還することを決めた。ナイジェリアに19世紀まで存在したベニン王国で作られたもので、現地から収奪された品だったからだ。近代にあって自国の多くの文化財が国外に持ち去られた中国では、「不法に持ち去られた文化財の返還」は広く関心を持たれる話題だ。中国新聞社記事は関連する状況を詳しく解説した。以下は原文記事に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
■英グラスゴーで「略奪した文化財を返還」の動きが本格化
グラスゴー市内の芸術機関や博物館を管理する非営利団体「グラスゴー・ライフ」の博物館・収蔵部門の責任者であるダンカン・ドーナン氏は、略奪されたり密輸されたりした文化財について「本来の所有者が返還を望んでいるのであれば、所有し続ける理由は何もない」と述べた。
ベニン王国の青銅器17点はいずれも、グラスゴー博物館が寄贈を受けたりオークションを通じて入手したものだった。つまり博物館は合法的に入手した。しかし、さらにさかのぼって考えれば、英国軍がベナン王国を侵攻した際に宮廷から持ち出したものであることは間違いない。
インド政府とインド考古学庁も1月、インドの寺院や神殿から19世紀に「盗まれた」文化財数点の返還をグラスゴー市に要請した。グラスゴー市は応じる見込みだ。
グラスゴー市は北米先住民のラコタ人の文化財25点も返還する予定だ。対象になるのは、1890年にサウスダコタ州で発生した「ウンデット・ニーの虐殺」で米軍が殺害したラコタ人300人が身につけていた品だ。米軍通訳が遺体から奪い、グラスゴーに売られた品だった。グラスゴー市はラコタ人の子孫の求めに応じた。
グラスゴー市の動きの背景には、グラスゴー大学の研究者の長年にわたる働きかけがあった。同校の博物館学科には、「帰還と送還の倫理」や「博物館の権力と政治」などの必修科目が設けられている。
同校博物館研究学のサラ・クック教授は、「博物館やその他の文化遺産機関の欧州の植民地主義とのかかわりやその後の影響についても研究しています。博物館界が問題を広く検討し、知識体系を再構築することに貢献することを目指している」と述べた。
「グラスゴー・ライフ」のドーナン氏によれば、「博物館の館長に対して数十年前から文化財を所属国に返還することを提案していたが、ほとんど相手されない」状態だった。しかし過去2年ほどで世論は一転し、植民地支配時代の行いについての「罪の意識」が高まった。それまで返還の障害になっていたのは、文化財が収奪された品であったとしても、すでにグラスゴー市の所有物として市民全員の財産になっていたことだった。博物館の一存で返還することはできなかった。だからこそ、市民の意識の変化が重要な転機になったという。
同様の動きが発生しているのは英国だけではない。フランスのマクロン大統領は当選直後の2017年に、アフリカの文化財返還を調査研究すると表明した。大統領は公開演説で「アフリカ遺産の一時的または永久的なアフリカ返還の条件を整える」ことを訴えた。中国政法大学国際法科学院の霍政欣教授は、マクロン大統領の思惑が何であれ、発言がきっかけで欧米では文化財返還の動きが鮮明になったと述べた。
■「文化財を守れたのは文明国」に痛烈に反論
西洋の博物館界には、世界各地の文化財が文明国である欧州に持ち込まれなかったら、すでに消失していただろうとの主張があった。例えば、大英博物館ハートウィグ・フィッシャー館長は「英国の博物館は略奪された文化財にとって、最良の落ち着き場所だ」と述べた。いわゆる文化財の「救出ストーリー」だ。大英博物館は中国で盗まれた文化財を最も多く収蔵している博物館だ。大英博物館が収蔵する中国の文化財は2万3000点以上に達する。
グラスゴー大学博物館学科は「救出ストーリー」という主張に対して、特別展示会を行った。研究者は会場に展示された文章を通じ、異人種の奴隷的使役、暴力行為、強制移住、先住民の体系的な抑圧などの慣行による恩恵を受けた寄贈者からのコレクションが博物館に収蔵されている限り、白人至上のイデオロギーは永遠に存在すると主張した。欧州の博物館関係者、さらには一般市民も植民地イデオロギーと無縁ではなく、それどころか現在まで共謀を続けてきたことになる。
西洋における博物館の植民地主義との結託についての反省の流れは、中国にとって流出した文化文化財を取り戻すきっかけになった。ただし、中国から海外に流出した文化財の総数に比べれば、返還された文化財はごくわずかだ。ユネスコの大まかな統計によると、世界47カ国の200以上の博物館が、中国の文化財164万点以上を所蔵している。この数字に海外の個人所蔵は含まれない。
■「法の不遡及(そきゅう)」やその他の国内法が返還の障害に
ユネスコは1970年、「文化財不法輸出入等禁止条約」を成立させた。この条約は、世界各国の文化財の復元や返還についての重要な国際条約だ。政府間機関である国際私法統一教会(UNIDROIT)は1995年、「盗まれたり不法に輸出された文化財に関する条約」を制定した。
これらの条約は文化財の不当な国外流出を抑止する役割りを果たしているが、文化財を取り戻すために役立つとは限らない。章公祖師肉親座仏を例に説明しよう。約1000年前の宋代の高僧、章公祖師と見られる遺体が内部に入った仏像だ。この仏像が安置されていたのは中国福建省三明市大田県陽春村にある寺だった。しかし95年2月に何者かによって盗まれたとされる。現在の所有者であるオランダ人は、96年に同国アムステルダムで購入したと主張している。
この仏像が95年内に香港経由でオランダに持ち込まれたことは明らかになった。オランダが「文化財不法輸出入等禁止条約」の批准国になったのは2009年だった。国際法には「法の不遡及」が適用される。つまり、ある国が条約を締結批准した場合、その国はそれ以降、条約に従って問題を処理する義務を負う。しかし国際法や条約は締結批准の時点をさかのぼっては適用されない。したがって1995年にオランダに持ち込まれた章公祖師肉親座仏は法の適用の対象外だ。個人の所有権が合法的に成立すれば、オランダ政府に返還の意向があったとしても手出しはできない。
別の状況もある。例えば2014年には、当時のフランスのシラク大統領が、自国の国立美術館が所蔵していた中国からの流出品である歴史的な金の装飾品を返還することに同意した。しかし同件では、フランスの国内法が障害になった。関連法のために、国家が所有する文化財を他国に引き渡すことができなかったからだ。
金の装飾品は個人が美術館に寄贈したものだった。そこで、美術館側は該当品を元の所有者に返還した。そのためには、寄贈合意の破棄という手続きが必要だった。さらに該当品を国家の文化財所蔵物リストから削除する手続きを済ませたことで、元の寄贈者が個人の名義で該当品を中国政府に返還することができた。
■流失品それぞれに「別の物語」、返還の実現には時間がかかる
各種手続きが煩雑なため、返還が実現するまでには時間がかかる。中国は2019年に英国から68点の文化財の返還を受けた。関連作業には25年がかかった。2020年にはイタリアから文化財796点の返還を受けたが、作業には12年がかかった。
北京市内にある円明園は1859年、アロー戦争で進軍してきた英仏連合軍の大規模な破壊の対象になった。その後の混乱もあり円明園からは極めて多くの文化財が流出した。そのシンボルの一つとして、園内に設置されていた十二生肖獣首銅像の首が切り落とされて海外に流出した件がある。国家文物局の関強副局長は同件について「文化財の一つ一つの返還は容易ではない。(流失文化財の)背景には、それぞれ異なる物語があるからだ」と感慨を語った。(構成 / 如月隼人)
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