河合正弘 2022年1月13日(木) 7時20分
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日本と中国は国交正常化50周年を迎え、どのような関係を構築していくべきだろうか。写真は1978年10月、新日鉄の君津製鉄所を見学するトウ小平氏一行。
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◆国交正常化と4つの政治文書
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今年は日中国交正常化50周年の節目にあたる。1972年2月にリチャード・ニクソン米大統領が中国を公式訪問し、米中関係をそれまでの対立から和解へと転換させる姿勢を示した。それを受けて、田中角栄首相は同年9月に北京を訪問して毛沢東主席と初めて会見し、周恩来首相との数日の協議を経て、国交正常化のための「日中共同声明」を発表した。声明では、「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国」だとし、日本側は「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」こと、台湾が中国の「領土の不可分の一部である」との中国の立場を「十分理解し尊重する」ことを表明して、米国よりも早く中国を承認した。中国側は日本に対する「戦争賠償の請求を放棄」した。さらに、日中両国は「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない」こと、「いずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対する」ことを明記した。
この声明は、その後の平和友好条約(78年)、共同宣言(98年)、共同声明(08年)とあわせた4つの政治文書の出発点として、両国関係のあり方について基本的な原則と精神を示してきた。日本と中国は国交正常化50周年を迎え、どのような関係を構築していくべきだろうか。
◆「政冷経熱」経て「戦略的互恵関係」構築
国交正常化と「日中平和友好条約」の発効により、日中関係が貿易・経済を中心に深まった。78年にトウ小平副総理の指導の下で改革開放政策が打ち出されると、日本は対中政府開発援助(ODA)を開始して中国経済の発展を支え、交流は地方自治体や文化面にも広がった。順調に進んだ日中関係は1989年の天安門事件で頓挫したが、日本政府は対中批判を強めた西側諸国に先がけて制裁を解除し、両国関係を再起動させるとともに、中国の国際的孤立からの早期脱却に貢献した。
トウ小平路線を引き継いだ江沢民政権は92年に「社会主義市場経済」を採用し、計画経済の中に市場経済を積極的に導入することとした。95年にGATTの後継機関である世界貿易機関(WTO)が設立されると、中国はさらなる改革開放と市場経済化を図るための「外圧」として加盟交渉を本格化させた。中国の加盟を最も強く支持したのは日本だった。政治体制の異なる中国を国際経済秩序の中に取り込むことで、改革開放が進み、日中貿易や中国における日系企業の事業拡大に資すると考えられたからである。2001年のWTO加盟によって、中国経済はより強く世界経済に組み込まれ、「世界の工場」としての地歩を固め、めざましい経済発展を遂げることができた。日米欧の西側諸国も中国の膨大で安価な労働力と拡大する国内市場へのアクセスとをテコに経済成長を享受し、まさにウィンウインの関係が構築された。
しかし90年代後半以降、日中関係が悪化する局面が多くなった。96年に台湾海峡危機が懸念されたことを受けて、日本が米国とともに「台湾有事」も含む「周辺事態」における安保協力を想定する姿勢を示したことから、日中関係がこじれた。98年に江沢民国家主席が訪日した際、日本の歴史教育を批判したため、日本国内で嫌中・反中意識が広がり、日中間で歴史認識、台湾、安全保障を巡る摩擦が強まった。01年に小泉純一郎首相が靖国神社を参拝すると、中国は「侵略戦争を正当化する行為だ」と反発した。小泉首相はその後も靖国神社を参拝し続け、05年には中国で大規模な反日デモが起きた。日中関係は政治が冷え込む一方、経済が活況を呈したことから「政冷経熱」と呼ばれた。
小泉首相の後任の安倍晋三首相は06年に初外遊先として中国を選び、胡錦濤国家主席との間で「戦略的互恵関係」の構築に合意した(注1)。08年の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」で、両国は歴史や台湾への言及を最小限にとどめる一方、「戦略的互恵関係」を実現するための具体的な協力の内容について示した。たとえば「互恵協力の強化」として、エネルギー・環境、貿易・投資、情報通信技術、金融、食品・製品の安全、知的財産権保護、ビジネス環境、農林水産業、交通運輸・観光、水、医療等の幅広い分野での協力を進め、共通利益を拡大していくこととした。共に努力して「東シナ海を平和・協力・友好の海とする」ことにも合意した。さらに両国が直面する共通の「グロ―バルな課題への貢献」として、気候変動、エネルギー安全保障、環境保護、貧困、感染症等の問題を挙げ、問題解決を進めるとした。東シナ海の油ガス田問題では、同年6月に「東シナ海における日中間の協力について」の共同プレスを発表し、油ガス田開発に関する協力合意に達した。日中関係は大きく改善するかにみえた。
【注1=「戦略的互恵関係」とは】日中両国がアジア及び世界の平和・安定・発展に対して共に建設的に貢献する責任を負うとの認識の下、二国間、地域、国際社会での協力を通じて、互いに利益を得て共通利益を拡大し、日中関係を発展させる関係を指す。未来志向で歴史問題は重視せず、相互の「利益」の拡大を追求するものといってよい。
◆尖閣諸島問題と米中対立が影
ところが、自民党から政権を奪った民主党政権の下で尖閣諸島問題が焦点化し、日中関係は一気に冷え込んだ。2010年に尖閣諸島付近で中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船と衝突する事件が起き、日本側が漁船の船長らを拘束すると、尖閣諸島(釣魚島)の領有権を主張する中国は対抗措置としてレアアース(希土類)の対日輸出を制限するなど強硬姿勢で対抗した。さらに、野田佳彦首相が12年に尖閣諸島の国有化を宣言すると、中国外交部は「中国の主権を侵し、国民感情を著しく傷つけた」との声明を発表した。中国各地で反日デモが起こり、一部は暴徒化して日系企業やスーパーが襲撃され、日中関係は「国交正常化以来、最悪」と言われるほど険悪になった。経済関係にも悪影響が及び「政冷経冷」と呼ばれた。これ以降、中国海警局(及びその前身)に所属する船舶等による尖閣諸島周辺の領海侵入や接続水域内への入域の件数が劇的に高まり、大きな緊張をもたらした。日本側は、中国が長年の軍備増強で軍事力が一定水準に達し、かつ10年にGDPで日本を上回り世界第2の経済大国になったという自信を背景に、日本に対して強い態度で臨んでいると受け止め、中国の拡大する軍事力に対応するために日米同盟の強化をますます重視するようになった。
12年に政権に就いた習近平国家主席と安倍晋三首相(第2次政権)は相互に厳しい立場で臨むことになり、約3年間も首脳会談が実現できない状態になった。安倍首相は日米同盟の強化に努めつつ、自由、民主主義、基本的人権、法の支配に基づく「価値観外交」を展開し、「アジアの民主主義セキュリティダイヤモンド構想」(後の日米印豪のQUADにつながる構想)や「自由で開かれたインド太平洋」戦略を打ち出した。経済面では三本の矢からなる「アベノミクス」に取り組んで日本経済の再生をめざし、戦後最長に迫る経済拡大を実現させた。また、米国を中心とする12か国の間での「環太平洋パートナーシップ」(TPP)協定の交渉に参加して署名に至り、トランプ米大統領がTPP協定から離脱すると残りの11か国の間で「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」(CPTPP) 交渉を主導して合意・署名にこぎつけ発効させた。欧州との間では日EU戦略的パートナーシップ協定や日EU経済連携協定(EPA)を結んだ。
この間、日中貿易や日本の対中投資が回復の兆しを示し、中国からのインバウンド旅客数も激増しつつあったことを背景に、安倍首相は17年に入って中国との関係改善に動き始めた。18年には日本の首相として7年ぶりに公式に訪中して、「競争から協調へ」、「お互いパートナーとして脅威にならない」、「自由で公正な貿易体制の発展」の日中新時代3原則で一致し、政治的相互信頼の醸成、海洋・安全保障問題と協力、経済分野での協力(第三国での共同事業、先端技術、金融など)、国民交流の促進など様々な日中協力で合意した。19年にはG20大阪サミットで来日した習主席と会談し、20年春に国賓として訪日するよう求め、習主席はそれに応じたが、新型コロナウイルス対応のため延期された。中国が対日改善に動き出した背景として、トランプ米政権との間で貿易戦争が起き、日本と連携したい考えがあったことが挙げられよう。
20年には菅義偉政権が発足し、21年には岸田文雄政権が誕生した。いずれも就任後、習主席と電話会談を行い、相互の意思疎通を図った。岸田首相は両国間の様々な懸案を率直に提起するとともに、建設的かつ安定的な関係を共に構築することの必要性を訴え、習主席も日中関係を発展させることへの意欲を示した。岸田政権は日米同盟が日本の外交・安全保障の基軸であり「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて取り組むとし、本年には日米豪印のQUADサミットを日本で開催する予定だ。中国に対しては「主張すべきは主張」して「責任ある行動を強く求めつつ、共通の課題には協力し、建設的かつ安定的な関係の構築」を目指すとし、経済協力や民間交流を促進させていく考えだ。しかし、米中関係は次第に悪化しつつあり、それが日中関係に影響を及ぼす可能性がある。安倍政権期の後半には米中対立が貿易面から先端技術・投資・安全保障面にまで広がり、菅政権期には米中対立が欧州や豪州を巻き込む形で拡大し、岸田政権下では米欧と中国の対立という構図が本格化しつつある。尖閣諸島、東シナ海、歴史問題、安全保障など日中間の立場の相違が大きい中で、南シナ海、香港、台湾、新疆ウイグル自治区の問題が重なり、米欧と中国の対立が日中関係をさらに難しくする可能性がある。(「アジアの窓」編集主幹)<つづく>
■筆者プロフィール:河合正弘
アジア経済研究の第一人者。東京大学経済学部卒、米スタンフォード大学経済学博士。ジョンズ・ホプキンス大学経済学部准教授、東京大学社会科学研究所教授を歴任。世界銀行東アジア・大洋州チーフエコノミスト、財務省副財務官・同財務総合政策研究所長、アジア開発銀行研究所長も務めた。現在東京大学名誉教授、同公共政策大学院客員教授、環日本海経済研究所代表理事・所長。『国際金融と開放マクロ経済学』(日経経済図書文化賞、東洋経済新報社)など著書多数。
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