香港、深センと一体化した開発で農村部を“都会”に

野上和月    2021年11月15日(月) 10時20分

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香港は将来、南部のビクトリア湾一帯と、北部の広東省深セン市に隣接する地域が“香港の顔”となる。林鄭月娥行政長官が任期最後の施政報告で示した「北部都会区発展策略」で、こんな香港の姿が浮かび上がった。

香港は将来、南部のビクトリア湾一帯と、北部の広東省深セン市に隣接する地域が“香港の顔”となる――。香港政府の林鄭月娥行政長官が、任期最後の施政報告(施政方針演説)で示した「北部都会区発展策略(以下、北部計画)」で、こんな香港の姿が浮かび上がった。これまで開発とは無縁だった郊外の農村部を、20年かけて、住宅やイノベーション基地がある大都会に変貌させるというものだ。しかも、中国政府の後押しも得て深センと融合した地域づくりを進めるという。

この計画は、田園地帯が広がる香港新界の北部を「北部都会区(以下、都会区)」と名付けて、住宅建設だけでなく、深センと一体化した経済拠点にもしようというもの(図1参照)。具体的には、香港島4つ分に相当する約300平方キロメートルに及ぶ一帯を開発。最終的に同地区内の世帯数を90万5000戸〜92万6000戸にまで増やして住宅不足を解消するとともに、国際的なイノベーション基地「新田科技城」も建設する。


図1:北部都会区のイメージ図(香港政府の北部都会区発展策略報告書から)

これにより、現在90万人あまりが住んでいながら、わずか11万人程度の雇用しかないこの地域を、最終的に250万人が住み、65万人の雇用(うち15万人はIT系の仕事)を抱える居住・経済拠点にする。

現在の香港の人口は約750万人だから、その約3分の1に相当する市民がこの地域で生活や経済活動をすることになる。開発投資額は明かしていないが、緑に囲まれたのどかな農村地帯は、名前のように“都会”に変貌する。

この計画で注目したいのは、香港政府が「双城三圏」という、新しい概念で“都会”を作ることだ(図2)。


図2:「双城三圏(香港と深センで一体化する3つの戦略的エリア)」(香港政府の北部都会区発展策略報告書から)

「双城」とは、香港と深センを指す。「三圏」とは、都会区と深センが融合して戦略的発展を目指す3地域のことだ。1つは、「前海地区」や「南山区」といった深セン経済の重要拠点が集中する深セン湾周辺の優位性を生かすエリア。もう1つは、従来から人やモノが活発に行き交う一帯で、「新田科技城」を含めて香港と深センの一層の緊密化を進めていくエリア。そして、風光明媚な大自然の環境を守りながらエコツーリズムを推進するエリア――の3地域だ。

「双城三圏」を実現するために、鉄道も5本整備する(図2)。現在、九龍半島の東部を深センの手前まで南北に走る東鉄線は、さらに北上して深セン側に乗り入れるようにする。このほか、都会区と深センの西側を結ぶ「港深西部鉄道」など、中国本土に乗り入れる鉄道3本、都会区内を走る鉄道2本を敷設する。

通関手続きもスムーズにする。香港が中国に返還される前の深センとのボーダー(国境)は、今も境界線として存在するため、両地をまたぐ移動は、それぞれの通関で出入境の手続きが必要だ。しかし今回、境界線をまたぐ鉄道3本では、1か所で香港側と深セン側の手続きができる「一地両検」にする。


イノベーション基地になる新田地区。奥に見えるのは深セン

香港政府が今回のように、施政報告に本土との融合を盛り込んだのは、返還後初めてだ。これまではといえば、施策は香港内に終始し、対象地域も“香港の顔”である、ビクトリア湾周辺の香港島と九龍地区に集中していた。しかも、埋め立てに次ぐ埋め立てで土地を増やし、住宅地や商業用地にあてていた。

このため、香港の南部は過密化する一方で、北部一帯は、香港島の高層ビル群とは無縁の田園風景のままだった。逆に北部から河を挟んで見える深セン側は、みるみる高層ビルが建ち、香港顔負けなほど巨大ビルが林立する。

北部地域には、原住民の特権を保護する条例があり、村特有の文化や習慣がある。また、世界的に評価を受けた湿地帯、「マイポー自然保護区」などがあり、九龍地区から中国本土につながる高速鉄道を整備する際も、自然保護を訴えて抗議デモが繰り返されるなど、香港政府は手を付けづらかったのだ。


イノベーション基地になる新田地区ののどかな田園風景。こうした風景は見られなくなるのか。

深センとの連携にしても、2004年から「深港合作会議」を開き、「前海地区」の開発や香港―深セン間の橋梁プロジェクトなどで深センと協議しているが、境界線をまたいで融合することはなかった。05年に深セン側から、隣接地でのハイテク経済特区の共同建設を提案された時も、香港は環境保全を理由に首を縦に振らなかったのだという。

それが今回は、農村地帯に手を付けるだけでなく、深センとの相互協力で香港経済を発展させる道を選んだのだ。香港政府は、国家発展計画に沿った青写真を作ることで、中国政府の後押しを得ながら本土の巨大市場を狙って発展する方へと舵を切ったのである。

背景には、香港が広東省やマカオと一体化して巨大経済圏を開発する国家プロジェクト「粵港澳大湾区開発(グレーターベイエリア開発)」に組み入れられるなど、否応なく国内の他の都市との競争を迫られていることがある。逆に言えば、投資や金融サービスなど香港の強みを生かして、本土に打って出て市場を拡大するチャンスを得たことにもなる。

そんな中で、昨年「国家安全維持法」が施行され、今や反政府勢力はほぼ一掃された。今後、立法会(議会)選挙への出馬は愛国者に限られることになり、議会でもこれまでのように民主派や反政府的な議員によって政策審議で邪魔されることはない。政府にとってそんな都合がいい下地ができたことも大きいのだろう。


圧巻の“香港の顔”、ビクトリア湾を挟む香港島(手前)と九龍側(奥)

今回の北部計画は、約84%の市民が支持しているとの調査結果もあるが、懸念材料といえば、今後香港経済の担い手となる若者の意識だろう。2019年の大規模な反政府デモは若者が中心だったように、本土との融合に後ろ向きな若者が少なくないからだ。

とはいえ、深センの目覚ましい発展が示すように、中国はひとたび国家計画として動き出すとそれに集中して動くからスピード感がある。香港政府は早速、テレビで北部計画のイメージ広告を流し、市民の意見を仰いでいる。

計画が実施され、青写真通りにいけば、ちょうど返還50周年となる2047年には香港の北部に、新たな“香港の顔”が出来上がっている計算だ。その都会区で返還50周年の記念行事が行われ、未来の国家主席と行政長官が肩を並べて、返還後初めて国家の支援を得ながら大開発して誕生した象徴的な地域の成功を祝う、いかにも中国らしい光景を想像するのは、私だけだろうか?(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務。1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中国返還を見たくて来港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執筆。読売新聞の衛星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、写真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

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