植民地色から中国色へ、香港の返還24周年

野上和月    2021年7月31日(土) 14時20分

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香港が24回目の中国返還記念日を迎えた7月1日。昨年施行された「香港国家安全維持法」を機に、「中国の香港」へとガラリと色彩を替えて歩み出したことを肌で感じた1日だった。

香港が24回目の中国返還記念日を迎えた7月1日、香港の街角で初めて中国共産党の旗を見た。恒例の民主化デモは完全に封じ込まれ、目を引くのは、返還記念より中国共産党創立100年を祝う広告やイベント。返還後も「一国二制度」のもとで英植民地時代の自由放任主義の名残りを漂わせてきた香港社会が、昨年施行された「香港国家安全維持法(国安法)」を機に、「中国の香港」へとガラリと色彩を替えて歩み出したことを肌で感じた1日だった。

この日の光景は、過去23回の返還記念日とは別世界だった。

街では、共産党100年を祝う広告を載せたバスやトラムが忙しそうに行き交っている。香港島からバスで海底トンネルを抜けて九龍側に渡ると、共産党創立者の一人で「建国の父」とされる、毛沢東氏を描いた広東オペラの巨大広告が目に飛び込んでくる。党100年の歩みを紹介する大規模展示会も開催されていて、子供たちが案内係を務めている。下町では整然と並ぶ五星紅旗に交じって、中国共産党の旗がなびき、ビクトリア湾に臨む高層ビルなどからは党100年を祝う言葉が威光を放つ――といった具合。どう見ても返還記念よりも党100年の祝賀の方が重視されていた。


九龍半島と香港島を結ぶ海底トンネル入り口に掲げられた祝賀看板


共産党創立100年を祝うイベント広告を載せたバス

テレビも似たような状況だった。画面が2分割され、毎年この日の朝に生中継される、政府高官らが参列して行われる国旗掲揚式と返還祝賀式典の様子はサブ画面に追いやられた。メイン画面は、同じ時間に北京の天安門広場で行われていた共産党創立100周年式典だった。


ビクトリア公園で違法デモの警備にあたる香港警察

過去23回の返還記念日はどうだったかというと、毎年、民主化を訴える「7・1デモ」が行われ、参加者が、「〇〇行政長官は辞めろ!」などと、シュプレヒコールを上げながら、香港島の主要道路を行進していた。

デモは、「言論の自由」や「集会の自由」が保障され、香港政府に対して民意を訴える効果的な手段として定着。参加者が50万人規模に膨れ上がる年もあれば、数万人程度の年もあった。参加者数の増減やスローガンの内容は、その年々の政府への不満度を測るバロメーターでもあった。そんな「7・1デモ」が今年初めて、コロナ禍を理由に完全に封じこまれたのだ。車道がデモ参加者で埋め尽くされることも、市民の声が街に轟くこともなかった。

転換点となったのは、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案に端を発した2019年の大規模反政府デモだ。エスカレートする破壊活動や独立運動を抑え込めない香港政府にしびれを切らした中国政府が、「国安法」という“超”がつくほどの“必殺技”を繰り出し、昨年6月末に施行された。

反体制活動を取り締まるこの法律の登場は、民主派市民を震え上がらせた。街や社会に流れる空気は一変。民主活動家は沈黙し、政府高官や親中派議員が俄然発言するようになった。今年に入ると、多くの民主活動家が逮捕・起訴されたり、海外逃避や引退、活動中止を余儀なくされたりしている。中国政府に批判的で民主派市民に支持されてきた大衆紙「リンゴ日報」も、「国安法」に触れたとされ、返還記念日直前に廃刊に追い込まれるなど、変化が急だ。「国安法」の先に見える統制社会や愛国主義を嫌って、第三国への移民も急増している。


中国共産党創立100年を祝うトラム広告


路上の電柱に掲げられた慶祝ののろし

返還を祝う当日の動きとして目を引いたものは、香港政府が合計270万香港ドル(約3800万円)を投じて、地元の新聞12紙全ての1面に、共産党創立100年と返還24周年を祝う全面広告を出したこと。また、「国安法」施行1周年を祝う真っ赤な2階建てオープンバスが、昨年まで民主派市民が刻んだ「7・1デモ」の足跡をかき消すように街を走り回ったことだ。


1面は香港政府による祝賀広告の7月1日付け地元新聞


毛沢東氏を描いた広東オペラの巨大看板

返還後も「一国二制度」で「50年は不変」と約束されていたはずが、25年を経ずして党の旗まで登場した現実に、「もはや香港は中国本土と変わらない場所になってしまった」と、ため息をつく香港市民が少なくない。多くの香港人は、共産党について「怖い」「信用できない」というイメージを抱いているが、街に浮かびあがった情景は、市民に「共産党あっての香港」と知らしめているようでもあり、中国に向けて忠誠をアピールしているようでもあったからだ。


九龍側繁華街の1画に掲げられた無数の国旗と区旗


2階建てバスには中国共産党の旗も

確かに、中国政府の出先機関である中央駐香港連絡弁公室(中連弁)は、長いこと表立って香港に口出しすることはなかった。しかし、貧しかった中国は今や世界第二の経済大国に発展。香港経済の中国依存は高まるばかりだ。「国安法」が登場すると、中連弁も含めて中国政府高官らが様々な立場から、香港に対して指導的な発言をするようになった。

香港政府も、「『国安法』は、香港に平和と安定をもたらした」と強調。中国政府や共産党あっての香港であることを市民に意識させる発言が増え、「中国の香港」を感じさせる。

返還後の民主化デモの発展は、いわば英植民地時代の自由放任主義の風土が置き土産となって作り出したもの。そのデモを封じ込み、党100年の輝かしい歴史を全面に出した今年の返還記念日は、中国にしてみたら、24年目にしてようやく、英国統治時代の残滓を処理し、正に香港の主権を回復したと思えたのではないだろうか?


ビクトリア湾を周遊する船には五星紅旗と中国共産党の旗


ビクトリア湾に臨むビルには祝賀広告の電飾が

最近は「国安法」に「愛国」というキーワードが加わり、学校教育も議会選挙も大きく変わろうとしている。変化の中で置き去りにされた民主派市民の気持ちのはけ口がどこに向かうのか気になるところだが、香港社会は今後も更なる中国化に向けて加速度的に変化していくと思われる。返還25周年となる来年は、今年以上に、中国本土との一体化や「中国の香港」を感じる返還記念日になるに違いない。(了)


ズラリと並ぶ五星紅旗


国旗に交じって中国共産党の旗


共産党創立100年を祝う横断幕

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務。1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中国返還を見たくて来港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執筆。読売新聞の衛星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、写真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

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