東日本大震災、そしてコロナ―大いなる災難によって結ばれた日中の若者の友情物語

Record China    2021年3月13日(土) 14時34分

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日本からの訪中団と山東省濰坊市一中の生徒の記念撮影。後ろから2列目右から3人目が徐さん、4人目が本川さん

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本川啓さんは、中学校の卒業式を終えたばかりで、友人らと食事をしていた。「突然、激しい揺れに見舞われました。テーブルの上の食器がすべて、床に投げ出されました。ガラスが砕け散る音が響きました……。危ない。これは死んでしまうかも、と思いました」――。本川さんは友人らと外に飛び出した。道路には亀裂が走っていた。

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東日本大震災に見舞われた日本の若者とコロナ禍に見舞われた中国の若者。新華社は12日付で、大いなる災難を通じて固められた日中両国の若者の友情物語を紹介した。本川さんは宮城県石巻市に住んでいた。2011年3月11日に発生した東日本大震災。津波に襲われるなどで、市内だけでも死者行方不明者が計3700人を超えた。住宅5万3000棟以上が破壊された。

突然に見舞われた大災害に、本川さんは茫然とするばかりだった。だが12月には、中国側の対日交流団体である中日友好協会の招待による日本人高校生の中国訪問団の一員になることができた。中国を訪れるのは初めてだった。それでも、同年代の中国人の若者とサッカーを楽しんだり、万里の長城を見学することができた。

とりわけ深い友情を結ぶことができたのは、徐揚さんとだった。徐さんはホームステイ先の息子で、当時は高校2年生だった。会話は難しかった。それでも、二人とも日本のアニメに関心があることが分かった。二人ともサッカーが好きであることも分かった。

徐さんは、当時の状況を振り返った。「一緒に見学に行き、一緒にごちそうを食べ、一緒にゲーム機で遊びました。自分の趣味や出身地の事を語り合ったりもしました。本当によい思い出です」という。

本川さんは、駐日本中国大使館が今年3月7日に催した中日青年オンライン交流会で、訪中がきっかけで自分は変わったと述べた。「当時の私は英語が苦手で、徐さんとスムーズに交流することができませんでした。それで、帰国してからしっかり勉強しようと思ったのです。徐さんと出会ったことが、私が頑張るきっかけになったのです。だからこそ、今の私にとって、世界がさらに大きく広がることになったのです」――。本川さんは、社会に出たら、教育関係の仕事に就きたいと考えている。できることなら、中国やその他のアジアの国に行って教育の仕事をしたいと思っている。

ただ、本川さんには気掛かりなことがあった。徐さんの連絡先が分からなくなっていたのだ。

徐さんも、本川さんのことを忘れていたわけではない。本川さんは徐さんとの交流を通じて、徐さんが「ドラえもん」が好きと知った。そこで帰国後、「ドラえもん」を数冊、徐さんに郵送した。徐さんは今でも、本川さんから送られてきた「ドラえもん」を大切に保管している。しかも、「ドラえもん」が入っていた郵送用の紙袋までもだ。「捨てるに捨てられなかった」という。徐さんの手元には、本川さんが訪中した際に贈ってもらった千羽鶴も残されている。

本川さんが徐さんに贈った「ドラえもん」。徐さんは郵送用の紙袋も大切に保管している

本川さんが訪中時に徐さんに贈った手折りの鶴

徐さんに連絡を取りたいという本川さんの願いを知って、ある中国人外交官がいろいろと苦心して、徐さんを探し当ててくれた。徐さんは現在、山東省の濰坊市博物館の職員として働いていることが分かった。

徐さんは現在、濰坊市博物館に勤務している

徐さんによると、この10年間ずっと、本川さんと連絡を取りたいと思っていた。その思いが特に強まったのは、中国が2020年に、新型コロナウイルス感染症の流行という災難に見舞われた時だ。苦しい状況にある中国に、日本の各界から支援の手が差し伸べられた。本川さんに連絡したいという徐さんの気持ちが強まった大きなきっかけの一つに、日本から届いた支援物資を入れた段ボール箱に「山月異域 風月同天」という文句が書かれていたと知ったことがある。

「離れた場所に住んでいても、心は通じ合う」ということをシンボリックに表現した中国の古い詩の一節だ。中国では、日本からの支援物資に「山月異域 風月同天」と書かれていたことがSNSで広がり、徐さんだけでなく、多くの人が感動することになった。

徐さんは、本川さんへの気持ちについて、「一緒にいた時間は短かったが、友情は長く続いている」と説明した。本川さんが訪中した時には、被災した本川さんの故郷の写真を見せてもらっていた。だから、本川さんの故郷が今、どのように立ち直ったかを知りたい。

本川さんと連絡が取れるようになった。徐さんは、興奮を隠せない。「コロナさえなければ、明日にでも駆けつけます」、「今後、チャンスがあれば、必ず中国の銘茶をお土産に会いに行きます。前回は彼が中国に来ました。今度は私が日本に行くと約束したのです」という。

中国の孔鉉佑駐日大使は中日青年オンライン交流会に際して、「中日友好の土台は民間にある。未来は青年のものだ」と表明した。

10年前の少年は、青年へと成長した。そして、共に中日の民間交流に期待している。徐さんは、こうも語った。「私と本川さんがどこにいようと、友情は心の中に長く続きます。とても貴重なことです。日本人と中国人が世代を超えて友好的に付き合い、共に平和を築くことを希望しています」――。(翻訳・編集/如月隼人

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