<東日本大震災10年>被災者に寄り添い、多様性や地域性を尊重したい―立石信雄オムロン元会長

立石信雄    2021年3月14日(日) 5時50分

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東日本大震災から10年。大震災による死者は1万5900人。この10年間で3767人が関連死と認定され、行方不明者は2525人に上るという。多くの犠牲者とご家族・縁者の無念を思うと胸がひしがれる。

早いもので東日本大震災から10年経った。大震災による死者は1万5900人。この10年間で3767人が関連死と認定され、行方不明者は2525人に上るという。夥(おびただ)しい犠牲者とご家族・縁者の無念を思うと胸がひしがれる。

未曽有の悲劇を乗り越え、復興に向けたインフラ整備が進んだのは心強いが、心配なのは、福島第一原発事故に直面した人たちを中心に、今なお4万人を超える人々が避難生活を余儀なくされていることだ。福島県外で避難者であることを理由とした「偏見」や「いじめ」がなお存在するといわれている。

「福島の子だから」とか「放射能がうつるから」とか…。環境の大きな変化もあって「不登校」になったり、「心の病」になったりする子ども多かったと聞く。大人も「補償金をもらっているだろ」といった心無い言葉を浴びせられて傷つくことも再三だったという。年月の経過とともに、このような極端なケースは目立たなくなったようだが、被災者に常に寄り添う気遣いが必要である。

震災直後、この戦後最大の危機を乗り越えようという連帯感が日本全国に広がり、多くの自治体や企業が避難者を受け入れた。団結してまとまろうとする合言葉が「がんばろう、日本」だった。日本は安定した社会と絆の強さで定評があるが、一皮むけば閉塞的な集団意識が存在し、よそ者や弱者へのいじめにつながるのではないか。多様性や地域性を重んずる社会をつくるために地道な努力が求められる。

数年前に都内でタクシーを利用した時のこと。初老の運転手さんが、たどたどしい東北訛りの標準語で話そうとするので、「無理して東京語を話すことはないですよ。お国の言葉が一番いい」と呼び掛けたら、とつとつと話し始めた。

秋田から出て来たばかり。免許があったので東京でのタクシー会社に就職し、運転手を始めた。会社の研修で指示されたのは、標準語を話すこと。練習をしたものの、滑らかには話せない。秋田訛り交じりで話すと「聞き取れない」と怒る客もいる。無理することはないよと話しかけてくれたのはお客さんが初めて…。そして泣き出した。余程辛かったのだろう。私もタクシーで運転手さんから泣き出されたのは初めてである。

東日本大震災で仕事を失い大都市で不慣れな仕事に就いた人も多いという。このタクシー運転手のように、地方出身者が「標準語」で話すことを強いられ、「閉鎖性」「集団主義」に翻弄されるようなことがあってはならない。

<羅針盤篇62>

立石信雄】1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。SAM「The Taylor Key Award」受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

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