工藤 和直 2018年11月19日(月) 8時30分
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台湾桃園国際空港の東南約10キロメートルの場所に日本の神社が現存するが、参拝に訪れる日本人は少ない。写真は筆者提供。
台湾桃園国際空港の東南約10キロメートルの場所に日本の神社が現存するが、参拝に訪れる日本人は少ない。桃園神社は、日本統治時代の台湾新竹州桃園郡桃園街大檜渓(現・桃園市桃園区成功路三段200号)にあった神社で、現在は桃園市忠烈祠神社文化園区となっている。日本統治時代に外地にあった神社では珍しく当時の社殿がそのまま残され、参道をはじめ手水舎・石灯篭・社務所・石階が当時のまま補修保存され、台湾の三級古蹟に指定されている。
戦前、日本は台湾の全ての町に神社を創建する政策をとっていた。1895年日清戦争後に日本統治下となって以降、台湾島内では1897年の開山神社をスタートに204カ所が創建された。台湾の神社のほとんどはこの時期に作られたものである。桃園神社は1935年(昭和10年)に創建が決まり、1938年(昭和13年)6月10日に落成、鎮座式が行われた。社格は県社で、北白川宮能久親王・大国魂命・大己貴命・少彦名命・豊受大神・明治天皇を祀っていた。
戦後、桃園神社は新竹県忠烈祠と改称し、1950年に桃園県忠烈祠となった。中には鄭成功・劉永福・丘逢甲の像と反清・抗日の殉国の烈士の位牌が置かれた。1972年、日本と台湾が断交したとき、政府は「日本統治時代の帝国主義的なものは全て取り除く」との命令を発し、それにより各地の神社が破壊された。桃園神社(桃園県忠烈祠)は住民の反対、また一部の学者が「神社とはいえ、唐風の建物が中国伝統建築仕様の保存とも言える」の論述を展開することで、日本統治時代のままの姿を保つことができた。1985年、政府は桃園神社を忠烈祠として再建する計画を出し886万元をかけて修復を行い、1987年に完成し、1994年2月15日に三級古蹟と指定された。また2015年からも大規模な改修工事を行い、2017年3月に修復工事が終了した。
台湾を訪れる日本人は年間190万人にもなり、長期滞在する邦人は2万人にもなるが、桃園国際空港から30分で行ける場所にもかかわらず、訪れる日本人は少ない。多くの台湾訪問者は台北か島内一周観光に行かれる。桃園空港から国道4号線を南東に向かい、民光東路を左折すると三越大有店がある。そこを右折して成功路三段交差点に総合病院があるが、そこから北300メートルである。目の前に石段があり、登るに邪魔になる石碑裏には昭和13年9月吉日と刻印されている。
この石段を登ると参道沿いに左右に石灯篭が整然と並ぶ。鳥居跡には中国式牌門があり、右に社務所と日本式家屋、左に手水舎がある。社務所前には銅製の馬があり、これも当時のままである。石段を登り山門に入ると、目の前に参拝殿があり、すぐに南面に鎮座する平入り本殿にたどり着く。参拝殿・本殿に加え、破風・飾り・軒先が幾度も改修・補修されていると一目で理解できる(写真1)。
台北市を訪れる日本人が多く宿泊される圓山大飯店は、昔は台湾神宮があった場所にあたる。知らぬうちに、もと本殿の上で一夜を過していると気付いている方は、果たして何人おられるだろうか。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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