<コラム>東京大学稷門(しょくもん)賞のいわれ、斉の国都を巡る

工藤 和直    2018年11月5日(月) 18時30分

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山東省の臨シ(シ=さんずいに緇の糸なし)は春秋周時代に斉都が置かれた地。現在はシ博市臨シ区になるが、周代初めは太公望呂尚が封ぜられ「営邱」といわれた。写真は筆者提供。

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山東省の臨シ(シ=さんずいに緇の糸なし)は春秋周時代に斉都が置かれた地。現在はシ博市臨シ区になるが、周代初めは太公望呂尚が封ぜられ「営邱」といわれた。その後、紀元前859年に斉の献公がここに都を定め臨シと名づけた。春秋時代には桓公が覇者となり、戦国時代には、華北第一の都市として栄えた。

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『史記』によると、春秋中期にはすでに4万2000戸の都会となり、戦国時代には7万戸(推定35万人)、男子21万人で街は肩と肩が触れ合うほどの賑わいと記録されている。現在、全ての城門・城壁は地上になく、城内外とも麦畑が広がる長閑(のどか)な田畑であるが、ここが当時世界1、2を争う大都会だったとは想像もできない。

春秋戦国時代、周の洛陽、斉の臨シ、趙の邯譚、魏の大梁(開封)、楚の郢(荊州)などは1万戸を越える大都市であった。その後、紀元前284年に燕など5国に攻められて衰え、紀元前221年秦に滅ぼされた。秦は紀元前230年に東隣の韓をまず滅ぼし、翌々年に趙、紀元前225年には最進国の魏を滅ぼした。魏国は当時一番の文明国であったが、国政が衰えたところを攻められ滅んだ。その後、南方の楚を前223年に滅ぼし広大な地域を手に入れた。残るは北方の燕国と東方の斉国であった。紀元前222年に燕を滅ぼし、その帰路に斉を急襲して一気に滅ぼした。斉の弱点は、今まで隣国でなかった秦に油断したのだ。ここで秦の統一が完成するのである。

斉の故城は大小両城からなり、大城は旧シ博県城北方に広がる4キロメートル長の不整長方形で城門が6カ所あり、城門跡・製銅・製鉄・鋳銭・骨器製造遺址が多数発見されている。また、墓地が2つと大規模な殉馬坑(写真1右)が発見されている。小城(東西1.4キロメートル×南北1.2キロメートル)は大城の西南部に位置し長方形で宮殿区となっており、城門は5カ所あった。その西北部に桓公台という高さ20メートルほどの高台があり、斉の桓公が諸侯と会見したり兵馬を検閲したりしたところと伝える(写真1左)。小城に東に隣接する隋代の城壁があったが、周囲2キロメートルにすぎない。大城は役人・平民・商人が住む郭城、小城は君主の住む宮城で、二城はあわせて面積15.5平方キロメートル程度である。ほぼ蘇州城と同じだ。

臨シは戦国時代中国最大の都市として繁栄、小城の西門にあたる稷門付近に多数の学者が集まり(写真1左下)、時には数千の学士が学問上の論争を行ったという(稷下の学)。その中には「孟子」も居たが、史記の記録によると「用うるにあたわず」と冷たい表現が残っている。「東京大学稷門(しょくもん)賞」は大学の発展に大きく貢献した個人・法人又は団体に対し授与するもので、平成14年度より毎年行われているが、その命名のゆえんはここにある。

臨シは当時中国五大工商業都市の一つであったため、遺跡から東周~秦漢時期の手工業の遺物、東周・秦漢時代の銅銭の鋳型が多く発見され、当時の貨幣鋳造業が発展した証拠を見る事ができる。(写真2上)は有名な春秋時代「斉」の刀銭(小城で鋳造)であるが、その後、西の秦が強大になるにつれて、秦で使われた環銭と同じ円孔円銭や方孔円銭が使われた。形状こそ違うが、字体に共通性がある。筆者は蘇州で斉の古銭(円銭)を収集したが、これがこの臨シで造られ、はるか1000キロメートルをどうして来たのかと思うと感激に値する(写真2下)。この臨シの街は、五胡十六国時代(西暦304~439)に衰えて行ったという。

この臨シに行くには、山東省都済南市から高速鉄道で1時間、駅前右の張店天主堂前の三院バス停があるが、ここから辛店行き20番に乗る。臨シ駅前が辛店(この地域の昔の名)になる。ここから52番バスで臨シ城内へと向かう。高速道路を過ぎてすぐに南門入口(石碑のみ)に着く。斉都鎮を過ぎるとすぐに斉国故城遺跡博物館(現在は閉館し、太公湖の斉国文化博物館に移設)が見えて来る(写真3)。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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