陸春齢さん死去、96歳=古い風格と超絶技巧を統合した伝統笛の大家、演奏会を目前に―中国

Record China    2018年5月23日(水) 16時0分

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中国伝統の「曲笛」の第一人者、陸春齢さんが22日に亡くなった。96歳だった。古い演奏風格をしっかりと伝えるとともに、超絶的なテクニックも遺憾なく発揮する貴重な演奏家で、後進の指導にも大きく貢献した。27日にはコンサートに出演する予定だった。

「中国笛王」「中国の魔笛」などと呼ばれた中国伝統の「曲笛」の第一人者、陸春齢(ルー・チュンリン)さんが22日、上海市内の病院で亡くなった。96歳だった。古い時代の演奏風格をしっかりと伝えるとともに、超絶的なテクニックも遺憾なく発揮する貴重な演奏家で、後進の指導にも大きく貢献した。27日にはコンサートに出演する予定だった。

陸春齢さんは、1921年9月に上海市で生まれた。幼いころから笛を学んだが、最初の師は近くに住んでいた革職人だったという。若い頃は人力車、次いで自動車の運転手として生計を立てる苦しい生活だったが音楽活動は続け、37年には紫韻国学社という団体に参加、40年には中国国楽社を立ち上げた。中華人民共和国成立後は、新設された上海民族楽団に所属、54年からは上海音楽学院で後進の指導にも当たった。

毛沢東周恩来トウ小平江沢民など、国家指導者の前で演奏することがしばしばあった。国外で演奏することも多かった。英国のエリザベス女王が訪中した際にも中国曲とイングランド民謡の演奏を披露した。その縁で、渡英して演奏会を行った際にはエリザベス女王が祝電を贈った。90年ごろからは、日本でも何度か演奏会を行った。

なお、中国では陸さんが貧しい家庭の出身だったと紹介されているが、本人は「かなり裕福な家の出身」と語ったことがある。中国では資本家階級の出身とみなされた者が極めて不利益な扱いを受ける時代があり、「生きるための方便が定着してしまった」との説明だった。

中国の伝統的な笛には、北部に伝わるバン笛(バンディー、「バン」は木へんに「邦」)と南部に伝わる曲笛(チューディー)の二大流派がある。バン笛は小型の笛を用い、技巧的で強烈な表現が特徴。曲笛は大型の笛を用い、優美な演奏が特徴。陸さんは曲笛の大家で、極めて澄んだ音色の持ち主だった。その上に、それまでの曲笛演奏には珍しかったテクニックも大胆に導入した。

中国の伝統曲には、相当に異なる「バージョン」が多数存在する場合が多かった。陸さんは民間の演奏の取材を重ね、「鷓鴣飛」「歓楽歌」「小放牛」「中花六板」などを整理し、楽譜化して自らも演奏した。陸さんの演奏はいずれも、その後の笛の演奏の「標準」になった。さらに「今昔」「喜報」などを作曲。これらの曲も広く演奏され、人々に親しまれることになった。

「巨匠」「重鎮」として崇拝されるようになっても、気さくでひょうきんな性格を発揮し続けた。リハーサル中に意表を突いたジョークで周囲を爆笑させることもあった。ステージ上では曲間のトークや仕草も聴衆を大いに喜ばせた。高齢になっても「ノリのよいミュージシャン気質」を失わない人物だった。

周囲に尊敬され愛される存在でもあった。さまざまな称号を得たが、本人は「最も気に入っているのは『人民芸術家』の『人民』の2文字だ」と語ったことがあるという。自分は特別の人間ではなく、特別な人間のために活動しているつもりもない、との心意気だった。

新華社によると、陸さんの訃報に接して、陸さんの弟子である上海音楽学院の唐俊喬(タン・ジュンチアオ)教授は「陸先生が、こんなに早く逝ってしまうとは思いもよらなかった。笛と音楽を心から愛する人だった。永遠に楽しそうにしているように思える人だった」と語った。

唐教授によると、27日には「陸春齢・師匠と弟子によるチャリティー音楽会」が予定されており、準備を進めていたところだったという。(翻訳・編集/如月隼人

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