Record China 2007年2月19日(月) 18時54分
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1997年2月20日のトウ小平逝去から10年。当時のロイター通信社中国支局による報道は、このような舞台裏があった。20世紀の中国政界の最高実力者にまつわるエピソードは、時代が変わっても語り継がれていくことだろう。
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トウ小平没後10周年を迎える2007年2月19日。レコードチャイナでは、ロイターが中国の国家通信社である新華社に先駆けて「トウ小平逝去」を報じた、その舞台裏を紹介する。
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1997年2月17日、友人から「トウ小平(とうしょうへい)危篤」の情報を得たロイター・中国支局の馬珍(マー・ジェン)記者。独自の調査から情報に確信を持った馬氏は、翌2月18日、香港・東南アジア・米国をはじめとする世界各国から中国語が堪能なロイター記者を北京に集合させた。そして、その記者たちとカメラマンを街へ送り、「どんなささいなことでもいいから、取材してほしい」と指示したという。
そのころ、政府機関や高官の住居が多く集まる中南海の西門には、共産党指導者たちの車の列ができ、異変を感じた多くの記者が集まっていた。また、中国中央テレビ(CCTV)の政府担当者、日刊紙「人民日報」編集部も目だった動きを見せはじめた。さらに、天安門広場の警備を担当する警官の数も増えてきたという。
またこの日の夜には、米経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」記者による、「トウ小平氏自宅乱入事件」という騒ぎも起こっている。
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