<中国人が見た日本>中国救援隊員が語った被災地での8日間

Record China    2011年3月26日(土) 10時46分

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21日、中国国際救援隊の一行15人が岩手県大船渡市での8日間にわたる救援活動を終え、帰国した。隊員の1人で武警総医院の彭碧波・医務部副主任が語った当時の様子が公式ブログに掲載された。写真は21日、大船渡での救援活動を終え、中国に戻った救援隊員ら。

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2011年3月21日、中国国際救援隊の一行15人が岩手県大船渡市での8日間にわたる救援活動を終え、帰国した。隊員の1人で武警総医院の彭碧波(ポン・ビーボー)医務部副主任が語った当時の様子が23日付で公式ブログに掲載された。

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震災のあった当日の夜10時(現地時間、以下同)、中国国際救援隊は救援隊員50人、医療隊員30人を集めるよう命令を受けた(実際に派遣されたのは15人)。彭氏ら医療分隊は11時には全員が集合した。翌12日の正午には4トンの救援物資とともに羽田空港に到着。軍用機で大船渡まで飛んでいき、救援活動を始めた。

大船渡は想像以上の惨状だった。多くの家屋が津波で100メートル以上流され、割れたガラスの破片が飛び散っていた。まるで廃墟だった。現場では生存者の捜索と災害状況の調査が主な任務だった。彭氏は首席医療官として隊員を率いた。地元の消防署に割り当てられた捜索区域は計4平方キロメートル、家屋1000戸分だった。15日に遺体を1体発見した。

14日からは朝6時半から夜6時まで、捜索活動を行った。彭氏は報告書を書く仕事もあったため、就寝時間は毎晩12時を過ぎていた。インドネシア・スマトラ沖地震と四川大地震でも救援活動に参加した経験を持つ彭氏だが、今回の活動で最も大変だったのは寒さと大きな余震、それに放射能汚染への懸念だった。だが、祖国・中国を代表して来ている以上、止めるわけにはいかなかったという。(翻訳・編集/NN)

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