<コラム>日本の小学生と交流、中国の小学生が帰り際に「また明日来ますか?」

武 小燕    2018年1月5日(金) 14時30分

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11月某日、紅葉、緑が映える名古屋有数の団地に囲まれた土曜日の学校のグラウンドでは、日本、中国などの多国籍の子どもたちがサッカーに興じていた。写真は筆者提供。

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11月某日、紅葉、緑が映える名古屋有数の団地に囲まれた土曜日の学校のグラウンドでは、日本、中国などの多国籍の子どもたちがサッカーに興じていた(写真1)。中国河南省鄭州市から訪日した小学生と地域のサッカークラブに所属する日本の小学生らとの国際交流活動である。

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筆者が鄭州市の知人から小学校の国際交流の相談を受けてから、名古屋市の元教員や現任教員のご協力を得て実現した。

他国の学校との国際交流は、戦後平和運動の一環として国際的に展開され、姉妹校提携や姉妹都市提携を通して行われてきた。日本は戦後アメリカの影響と1980年代に教育の国際化を進めることで、国際姉妹校提携と国際都市提携は1990年代にピークを迎えた。一方、中国では時期的に一歩遅れたが、改革開放以降、規制緩和が進むなかで、草の根の国際交流が徐々に登場してきた。特に2000年代以降、WTO加盟にともなうグローバル化の加速と増大しつつある経済力の下で、人々は国際交流に対する関心が非常に高まっている。

外交や政治面では日中関係は決して良いとは言えない今日だが、こうした時ほど、民間交流による相互理解と友好関係の構築は意味があると思われる。小学校の国際交流ならいっそうのことだと思う。私はこうした思いで今回の交流活動のあっせんを引き受けた。

鄭州の小学校はサッカー選手の育成が特色の一つだとのことで、今回の主な日程はサッカー交流と名古屋市内のA校とB校との文化交流であった。言葉は通じなくても、サッカーは万国の子どもにとって境のないスポーツだ。訪日団が来日後、まずサッカークラブが主催する試合を観戦し、そして地域のサッカー教室の子どもたちとのサッカー交流に興じた。

その後に訪問したのは名古屋市のA小学校であった。4年生と5年生を中心とした中国側の小学生に対して、A校は4年生、5年生、6年生との交流活動を用意した。まず、学校の体育館では4年生とさまざまなじゃんけんをしてみた。生き残りじゃんけん、足じゃんけん、アルプスじゃんけんをしているうちに、緊張気味だった中国の小学生には笑顔が増え、徐々に日本の小学生と交わることができるようになった。

そして、猛獣狩りの際に、A校の児童たちの元気な声と勢いのよい動きのなかで、中国の小学生は言葉が分からないが、一所懸命にリズムに合わせて楽しく遊んだ。次は、運動場で5年生としっぽ取りゲームとドッジボールをすることに。12人の中国の小学生は6人ずつA校の小学生と一緒に2チームを組む。しっぽ取りゲームでは最初は中国の子が中国の子のしっぽを、日本の子は日本の子のしっぽを取ったが、そのうち、中国の子が日本の子、日本の子が中国の子のしっぽを取りあうようになり、誰でも一所懸命に走ったり逃げたりするようになった。

その後のドッジボールではすぐにそれぞれのチームに溶け込んだ。サッカーの得意な鄭州の小学生はしっぽ取りの際にキレのよい動きでスピード感を出しており、普段ドッジボールをよく遊んでいたA校の子は腕を大きく振って力強く投げていった。ゲームをしながら、それぞれの体力上の課題も発見した。

いっぱい運動した後、給食の時間を迎えた。給食費を払った上でみんなと一緒に給食を食べることになった。今日の献立は麦ごはん、牛乳、れんこんのかきまし、豚汁である。中国の子にはイスラム教の子が3人いて、その子たちの給食は筆者が別途で持ってきたお弁当にした。数人のグループで日本の4〜6年生の代表者の子と中国の子が囲んで食事をするが、恥ずかしくてひたすらに食べている子もいれば、興味津々に相手に手振り身振りで話をかけようとしている子もいて、ほほえましいものであった。

A校は給食のメニューや食事前後のあいさつ言葉もイラスト付で日本語と中国語で表記する紙を各人のプレースマットとして用意している(写真2)。とても分かりやすかった。また、給食を通して親交を深めるほかに、教育活動でもある日本の給食で行われる担当制やごみの分別を学ぶこともできた。

午後の6年生との交流活動は、筆者は仕事の都合で参加できなかったが、中国の子は「けん玉」「だるま落とし」「福笑い」「竹とんぼ」「独楽回し」「メンコ」などの日本の伝統的な遊びを日本の子に教えてもらい、特に「けん玉」「だるま落とし」は楽しそうに取り組んでいたそうである。交流後の帰り道で、中国の子はガイドさんに「明日また来ますか」と期待する気持ちで聞いたそうで、当日の交流はとても楽しくて心に残る時間になったのだろう。

翌日は名古屋市のB小学校を訪問した。体育館で開かれた全校歓迎集会では日本語と中国語による挨拶が行われ、特に校長先生のきれいな中国語発音に中国側一同が驚いた。B校の児童代表から大好きな学校について紹介され、中国側の児童代表は学校所在地と学校生活について紹介した。

B校の紹介内容は「みんな明るい」など非常にやさしいものだったが、中国側の紹介内容は地元の歴史や文化が多く、いかにも大陸らしい。集会後、5年生の2学級との交流である。12人の中国の子は6人ずつで2つの学級に入った。1つの学級では折り紙で一緒にコマを作り、もう1つの学級では一緒に書道をするものであった。授業の後半に入ると、交代してもう1つの学級の活動に参加する。中国では切り絵の文化が盛んであるが、折り紙はあまり多くない。鄭州の子たちはB校の子に教えてもらいながら、カラフルな折り紙で彩ったコマを作って喜んでいた(写真3)。

書道活動では「今日に感謝 あなたに感謝」の一文は、日本の子がひらがなを、中国の子が漢字を書いて一緒に完成させる(写真4)。具体的な作法が異なっても、日中の文化交流の象徴である書道だからこそ伝わった親しみがそこに込められているように感じた。

給食は5年生の2つの学級と一緒にとることになった。今回は筆者も子どもたちと同じテーブルにつき、周辺の子どもたちの会話を促いながら通訳した。ほとんど一人っ子または2人兄弟の中国の子に対し、日本の子には一人っ子もいれば、2、3人兄弟の人もいて、なんと10人兄弟の子もいて、みんな驚いた。給食後は清掃時間に入る。中国の子たちが暫く休憩するが、中国の教員らはB校の児童たちの清掃を見学し、隅々まで、トイレまで清掃する子どもたちの様子に感心した。

午後、4年生と体育館で○×ゲーム。担任が用意した日本と中国に関する簡単な質問を、みんなが○か×の場所に移動して答えるというもの。ゲームが始まると、体育館はすぐに子どもたちの元気な声が響き渡った。移動しながら、子どもたちは体や表情で〇や×を表しながら自分の答えを相手に伝え、相手の答えを知り、一緒に喜んだり「へー」と言ったりしていた。その後、担任が用意したクイズを、中国または日本の子だけに見せてその意味を体で表現して日本または中国の子に当ててもらうゲームをした。どの子も一生懸命に表現して相手に伝えようとした。賑やかな交流活動をするなかで時間はあっという間に過ぎた。

短い交流だったが、A校とB校の校長と教員方の行き届いた準備と素敵なアイデアでとても有意義で充実した時間を過ごすことができた。中国の子どもたち、日本の子どもたち、皆さんはどんなことを心に残して別れを告げたのだろうか。また聞かせてください。

■筆者プロフィール:武 小燕

中国出身、愛知県在住。中国の大学で日本語を学んだ後、日系企業に入社。2002年に日本留学し、2011年に名古屋大学で博士号(教育学)を取得。単著『改革開放後中国の愛国主義教育:社会の近代化と徳育の機能をめぐって』、共著『変容する中華世界の教育とアイデンティティ』、『歴史教育の比較史』、研究報告書『多文化世帯に生きる子どもたちの言語習得に関する実証研究:愛知県における中国系世帯とブラジル系世帯の比較を通して』などがある。現在名古屋付近の大学で研究と教育に取り組んでいる。一児の母として多文化教育を実践中。教育、子育て、社会文化について幅広く関心をもっている。

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