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中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館の公式微博(ウェイボー)によると、10日午前2時、最年長だった南京大虐殺の生存者・管光鏡さんが死去した。享年100歳だった。
中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館の公式微博(ウェイボー)によると、10日午前2時、最年長だった南京大虐殺の生存者・管光鏡さんが死去した。享年100歳だった。同記念館の凌曦・副館長および中国侵略日本軍被害者援助協会の職員が故人宅を訪れ、お悔やみを述べ、最後のお別れをした。人民網が報じた。
桶職人だった管さんは倹約質素な生活を貫き、困っている人を助け、地元ではすこぶる評判がよく、「鎮の文明家庭」、「江蘇省の『楽天的』な健康老人」などと称されたこともあった。管さんは90歳の時、記念館を見学するための列にこっそりと並び、犠牲となった同胞に追悼の意を捧げた。生前は、「十大元帥」が印刷された扇子が大のお気に入りで、「今の素晴らしい生活は、革命に大きな貢献をしたこれらの大先輩とは切っても切り離せない」と話していた。管さんの遺族は、扇子、腕時計、急須などの品を記念館に寄贈する予定という。
管光鏡さんは1917年4月生まれ、1937年に■水東河(■はさんずいに栗)沿いで旧日本軍機が襲来し、爆撃するのを目撃した。彼は大きな石の下に身を隠し、運よく難を逃れた。南京陥落後、旧日本軍が南京郊外で罪のない住民を殺戮するのを幾度となく目にしたという。
名簿に登録されている南京大虐殺の生存者は今や100人足らずとなった。彼らは、中国侵略日本軍による暴行を目撃した動かぬ証拠であり、歴史の生き証人だ。時が経過するにつれ、生存者は次々とこの世を去っているが、歴史は永久に消えることはない。(編集KM)