<コラム>江戸の儒学者から学ぶ、コミュニケーションの要諦

海野恵一    2018年11月30日(金) 18時30分

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江戸の儒学者、中江藤樹は「忍んで百忍に至れば満腔の春」と言いました。耐えていけば、心が動かなくなります。耐えると言う言葉の背景は、慢心せず、謙虚に、喜怒哀楽があっても、平常心を保って事にあたれるようになれということなのです。資料写真。

江戸の儒学者、中江藤樹は「忍んで百忍に至れば満腔の春」と言いました。耐えていけば、心が動かなくなります。耐えると言う言葉の背景は、慢心せず、謙虚に、喜怒哀楽があっても、平常心を保って事にあたれるようになれということなのです。悩み事があったり、嬉しいことがあったり、あることに怒りを覚えていると心が動いてしまい、正しい判断ができません。そのために学問をして、平常心を保てと昔の人は言いました。

取引の交渉をしているときに、つい相手から思ってもいなかった条件に気が動転したりしてしまうと、全体の流れを見失ってしまうことがあります。たとえば、相手の人がとんでもない値引率を要求してきても、年間の契約高のごく一部であれば、受け入れてもいいと言ったようなことです。絶えず、冷静沈着な態度が耐えるということから生まれてきます。平常心をどんなときでも保つためには耐えるということが大事なのです。

この耐えるということはまた、仁義の「仁」、すなわち、相手を思いやる心と同じことでもあります。そもそも相手を思いやるということはどういうことを意味するのでしょうか。あなたがいくら相手を思いやっても、相手には通じません。その相手が女性でも、あなたの上司でも通じません。どうすれば良いのでしょうか。

その答えはあなたが相手の人の話に耐えてじっと聞くということです。相手の話をじっと聞いていると相手の人はあなたを誤解して、相手の人の考えをあなたは理解し、サポートしているのだと勘違いしてくれます。こうしたことが相手の人とのコミュニケーションの要諦なのです。これが「仁」と同じことになります。別に相手を思いやっているのではありませんが、相手の人はあなたから支持されていると誤解をしてくれるということなのです。

妻に対する対応もおろそかにしてはいけません。日頃から妻に対してこうした訓練をしておけば、仕事においてもうまくいくようになります。妻の考え方の違いに耐え、言葉遣いにも注意を払うということは顧客の考え方の違いに耐えたり、対応の仕方をきちんとしたりすることと同じことです。また発言するときも注意しなければなりません。せっかく相手の話を我慢して聞いてきたのですから、相手の言ったことを斟酌(しんしゃく)した発言をしなければなりません。失言の一言で今までの全ての信用を失ってしまいます。意見が違っていても、よっぽどのことでもない限り、聞き入れれば良いのです。

また、こうして相手の話を聞くということは外国人とのコミュニケーションギャップを解消するための方策においても一緒です。ダイバーシティとは、多様な人材を積極的に活用しようという考え方のことですが、一般的には女性と外国人を指すことが多いようです。このダイバーシティにも耐えるということを行うことによって、相手との信頼を築くことができます。

■筆者プロフィール:海野恵一

1948年生まれ。東京大学経済学部卒業後、アーサー・アンダーセン(現・アクセンチュア)入社。以来30年にわたり、ITシステム導入や海外展開による組織変革の手法について日本企業にコンサルティングを行う。アクセンチュアの代表取締役を経て、2004年、スウィングバイ株式会社を設立し代表取締役に就任。2004年に森田明彦元毎日新聞論説委員長、佐藤元中国大使、宮崎勇元経済企画庁長官と一緒に「天津日中大学院」の理事に就任。この大学院は人材育成を通じて日中の相互理解を深めることを目的に、日中が初めて共同で設立した大学院である。2007年、大連市星海友誼賞受賞。現在はグローバルリーダー育成のために、海野塾を主宰し、英語で、世界の政治、経済、外交、軍事を教えている。海外事業展開支援も行っている。

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