日本留学から帰国後、14年間植樹を続ける中国人男性―中国紙

人民網日本語版    2017年7月6日(木) 7時20分

拡大

内蒙古自治区の最西部に位置する阿拉善盟では、27万平方キロの土地に、巴丹吉林砂漠、騰格里砂漠、鳥蘭布和砂漠があり、 93.5%が砂漠化している。そして、毎年春になると、黄砂に襲われることもよくある。

内蒙古(モンゴル)自治区の最西部に位置する阿拉善(アルシャー)盟では、27万平方キロの土地に、巴丹吉林(バダインジャラン)砂漠、騰格里(トングリ)砂漠、鳥蘭布和(ウランプハ)砂漠があり、 93.5%が砂漠化している。そして、毎年春になると、黄砂に襲われることもよくある。(文:王景爍。中国青年報掲載)

呉向栄さん率いるチームは今、トングリ砂漠の東縁に住んでいる。日中は強い日差しにさらされながら、スコップと木の苗を手に出かけ、夜になると、ベッドとテーブル、イスしかない宿舎に戻って休むという生活をしている。宿舎と植樹拠点、砂漠の植樹エリアの3カ所だけを行き来する呉さんと共に行動するチームはわずか7人のみで構成されている。

この7人で、長さ20キロ、幅500−2000メートルの砂漠化を防止するための林を砂漠の周縁に作ってきた。そして、東に向かって進み、賀蘭山脈を超えようとする砂漠化を必死で食い止めようとしてきた。

1997年、日本に留学していた呉さんは、ホームステイ先だった米屋の社長・大沢俊夫さんと、もう一人の日本人を連れて、実家があるアルシャーに戻った。その時はちょうど、日照りで最も乾燥している季節だった。

放牧地で、大沢さんはたくさんの羊の群れを目にしたものの、緑の草が全くないことに気付き、「アルシャーの羊は石を食べて育っているのか?どうして木を植えないのだ?」と疑問に感じたという。

大沢さんらは、砂漠の拡大はアルシャーや中国だけの問題ではなく、日本や世界の問題だとして、日本に帰ってから特定非営利活動法人(NPO法人)「世界の砂漠を緑で包む会」を立ち上げ、日本政府や民間に援助を求めた。そして、呉さんは翌年から外務省に資金援助を申請するようになった。

2003年、呉さんは大学を卒業し、以前は逃げだしたかった実家に戻った。砂ぼこりが嫌いだった彼は、すぐに荒野に引っ越した。そして、第一陣の木の苗が届くと、仲間らと共に朝から晩まで十数時間も働き続け、暗くなると木の周辺に掘った穴で寝るという生活を数カ月続けた。

「僕たちはトングリ砂漠で14年かけて20キロにわたって植樹した。1年当たり、1キロちょっとの計算。トングリ砂漠は少なくとも600キロあるため、今のペースなら少なくとも500年はかかる」。呉さんは冗談っぽくそう話し、「以前は少しでも広い場所に木を植えることばかり考え、3年後、5年後にそれらが管理されているかは考えていなかった。また、どれだけの木を植えて、どれだけの木をちゃんと管理できるのかなど考えていなかった」と振り返る。

しかし、ある年の冬、呉さんは日本で、わずか2カ月の間に、専門家が樹齢100年以上の大きな木を5−6回も剪定しているのを目にして、「保護」の重要性を理解するようになり、アルシャーに戻ってから、仲間と共に剪定の計画を策定した。

呉さんは「環境保護」という「種」を一人でも多くの人の心に植え、一層多くの人が「植樹」について意識するようになることを願っており、「木を植えるだけでなく、『心』も育てなければならない。『砂漠化がこわいというよりは、人の心が砂漠化するのがこわい』。これは、僕の父親が以前よく言っていたこと」と話した。

当初、日本には、実際にその砂漠に行ってみたいというボランティアがたくさんいた。そして、毎年、呉さんはボランティアの名簿を作り、現地の小学校を訪問して日本のボランティアが短期間アルシャーの小学生の家にホームステイして、一緒に植樹を体験できるよう、「マッチング」をしようと試みた。

呉さんの取り計らいで、最も多い年で、日本のボランティアと中国の小学生の家庭40組の「マッチング」に成功した。日本人ボランティアは、最年少で20代の大学生、最年長では80歳近くの高齢者夫婦までいた。最近、呉さんはこの活動に参加し、大学を卒業したあるアルシャーの男性が、日本に遊びに行った時に、当時ホームステイした日本人の家に泊まったことを聞いたという。

42歳の呉さんは、チーム最年少にもかかわらず、植樹の経験は最も長い。7人の平均年齢は約50歳。砂漠化が進まないよう砂漠に住んでいる呉さんが一番心配しているのは、単調な生活のことではなく、仲間がいなくなってしまうことだという。日本からの援助を受けていた時期は、日中関係が悪化するたびに、その影響で日本からの資金援助も止まってしまうなど、植樹プロジェクトも不安定だったという。

最も深刻な時は、半年間給料が出ず、その年は若者4人が去って行った。それでも、呉さんは、植樹の足並みを緩めようとはしない。15年、中国緑化基金会「百万森林計画」が、呉さんらのチームへの援助を始めた。呉さんは、「このプロジェクトが一層安定するようになり、少しずつ中国全土で声を発することができるようになっている」と感じている。

呉さんは、「砂漠と仲良く共存することを願っている」といい、「人が自然に打ち勝つのでも、砂漠に宣戦布告するのでも、オアシスが砂漠を追い出すのでもない。この土地で、砂漠とオアシスの最大公約数を探し、調和のとれた生態環境を作りたい」と話す。

「もし、植樹の活動をしていなければ、日本に残り、同級生らと同じように事務所に座って報告をまとめたり、海を渡ってビジネスをしたりしていたと思う」という呉さんは、砂漠に来た当初、アルシャーに「ラスベガス」を作ることまで考えたという。

しかし、時間と共に、「カジノの都」を作るという夢は少しずつ薄れ、植樹の道を一心に歩んでいる。(提供/人民網日本語版・編集KN)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携