人民網日本語版 2017年6月10日(土) 13時20分
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日本のキンカンのうち「寧波キンカン」という品種は、浙江省寧波市から伝わったものだということはほとんど知られていない。
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日本のキンカンのうち「寧波キンカン」という品種は、浙江省寧波市から伝わったものだということはほとんど知られていない。寧波市北侖区はかつて、中国最大のキンカンの産地で、キンカン栽培の400年以上の歴史がある。「寧波キンカン」は昔、ひょんなことがきっかけで日本に伝わったとされている。寧波林業局の元職員である林大盛さん(81)は、ずっと「寧波キンカン」について研究しており、同業者と共に「寧波キンカンが日本に伝わった歴史」と題する論文を仕上げ、専門雑誌に掲載されたことがあるという。寧波晩報が伝えた。
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林さんによると、「寧波キンカンが日本に伝わった歴史は、寧波が中国の海上シルクロードの重要な出発港の一つであったことを側面的に示している。海上シルクロードを通して、中国から日本に伝わった果物は他にもたくさんある」という。
〇漂流がきっかけで日本に流れ着いた「寧波キンカン」
果樹について研究している多くの人は、日本に「寧波キンカン」があることを知っている。日本にある多くのキンカンの品種の一つで、名前に地名が入っている数少ない果樹の一つだ。
林さんが収集した史料や証拠が示すところによると、1826年1月2日、「得泰号」という名前の寧波の商船が浙江省の乍浦港を出発した。元々、日本の商人3人を長崎まで送る予定だった。ところが、暴風に襲われて船体が破損し、航路から外れて静岡県の近くに漂着した。静岡で停泊している時に、「得泰号」に食べ物を提供する仕事を担当していたのが、柴田権左衛門という人物で、「得泰号」に珍しい品種のキンカンがあるのを発見した。彼がそれまでに見たことがあるキンカンとは明らかに違い、丸くて大きく、とても風味があった。そのため、彼は船長に掛け合ってその実を数個分けてもらい、その種を自分の庭に植えて大切に育てた。すると、質の良い実ができるようになったという。その後、「得泰号」が残したキンカンが「寧波キンカン」と呼ばれるようになり、日本に根を下ろして、日本各地で栽培されるようになった。
〇ビワ、ヤマモモ、ミカンなどたくさんの果物が中国から日本に
林さんによると、日中の交流は長い歴史を誇り、古代海上シルクロードを通して中国から日本に伝わった果物は他にもたくさんある。キンカンだけを見ても、「寧波キンカン」以外に、「マルキンカン」や「ナガミキンカン」などがある。日本では、名前に地名が入っている柑橘系の果物は、他にも「温州ミカン」などがある。
今から約500年前の中国の明の時代に、日本の僧侶・智恵が浙江省の天台山国清寺に留学し、帰国時に、黄岩に寄り、そこにあったミカンをたくさん九州に持って帰った。そして、食べ終わったミカンの種を大仲島(現在の鹿児島)に植え、その苗のうち、種のない苗木だけを引き続き育て、種のないミカンの品種を作り上げた。現地では当初「長島蜜柑」や「唐蜜柑」などと呼ばれていたものの、後になって「温州ミカン」という呼称が一般的になった。
20世紀、日本のビワの優良品種である「茂木」や「田中」なども中国から伝わったものだ。「茂木」は江戸時代に長崎に伝えられ、茂木町に植え付けられたためその名前が付いた。別名「唐枇杷」とも呼ばれていた。一方、「田中」は「茂木」を改良した品種だ。日本のヤマモモの品種の一つである「瑞光(ズイコウ)」は、1913年に近藤廉平が福建省(一説は温州市)から持ち帰ったもので、「近藤ヤマモモ」とも呼ばれている。
林さんによると、「果樹の品種の交流は双方向の交流。中国には良い品種があり、それが日本に伝わった。一方の日本にも良い果樹があり、それが中国に伝えられた。このような交流のほとんどが『海上シルクロード』で行われた」という。(提供/人民網日本語版・編集KN)
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