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<コラム>セウォル号の9人の行方不明者、「ヨンドンサリ」伝説のように家族の元に帰ってほしい

木口 政樹    2017年3月27日(月) 18時50分

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2014年4月16日、海の底に沈んでしまったセウォル号。当時、テレビから何度も珍島という単語が聞こえてきた。筆者の脳裏には不届きとは感じながらも「珍島物語」の曲がしきりと流れ、どうにも止めることができなかった。写真はセウォル号の関連掲示物。

2014年4月16日、海の底に沈んでしまった旅客船セウォル号。その引き揚げ作業がここに来て急速に進められ、約3年ぶりに水面上に船体の全容を現した。犠牲となった高校生の家族らの気持ちはいかほどだろうか。さらにいたたまれないのは、9人がまだ行方不明のままであることだ。果たして船の中に全員の姿を発見できるだろうか。これを書いている26日現在、半潜水式船舶に載せられた状態で船体の排水作業などが順調に進められ、船体は早ければ28日ごろに事故地点から木浦(モッポ)新港を目指して出発することになっている。今はとにかく無事に港に着くことだけを願いたい。

ところでセウォル号の沈没地点がどこかというと、天童よしみの「珍島物語」で有名な珍島(チンド)の南西約20キロの所である。

事故当日、当然のことながらテレビから何度も珍島という単語が聞こえてきた。筆者の脳裏には不届きとは感じながらも「珍島物語」のメロディーがしきりと流れてきて、どうにもそれを止めることができなかった。中山大三郎作詞・作曲の「珍島物語」の1番の歌詞だけ掲げてみよう。

海が割れるのよ 道ができるのよ

島と島とが つながるの

こちら珍島から あちら茅島里(モドリ)まで

海の神様 カムサハムニダ

霊登(ヨンドン)サリの 願いはひとつ

散り散りになった 家族の出会い

ねえ わたしここで 祈っているの

あなたとの 愛よふたたびと

改めて聞いてみた。哀調を帯びたメロディーが私の心の奥深くまで染み渡り、当時何度も聞いたことを思い出す。特に「ねえわたしここで祈っているの」の部分は、高校生の親たちが、珍島に近い彭木(ペンモク)港から事故現場の方を眺めながらじっと祈っていた、いや祈るしかなかったその光景と重なって強くわが印象に刻まれている。

海が割れるのよ、で始まるこの曲は、本当に海が割れる自然現象を題材としたものである。陰暦の2月末から3月15日ごろまでの間のある日、海の潮が引き幅30〜40メートル、長さ2.8キロほどにわたって海底がむき出しになり「道」ができるのである。この自然現象は、珍島の人たちは皆知っていたのだが、1970年代初めに珍島の観光に来たフランス大使がこれを見て自分の国の新聞に“モーゼの奇跡”として紹介して以来、全世界で有名になったものである。

歌詞にもある「霊登サリ」とは祭りにも似た一つの儀式で、次のようないわれがある。

その昔、珍島には虎がたくさんいたという。村の名前も虎洞(ホドン)といったほど。ある日、虎が村に襲ってきたため村の人たちは一目散にこの虎洞から沖合いの茅島の方に逃げた。あまりにも急に舟をこいでいったため、ポンハルモニ(ポンおばあちゃん)を置いてきぼりにしてしまった。

残されたポンハルモニは来る日も来る日も、海の方に突き出した岩場に登って家族に会わせてほしいと竜王に祈っていた。切実なその祈りが通じたのか、2月の終わりの日(旧暦)、竜王がハルモニの夢に現れ「明日、海に虹を架けてやる。それを伝って海を渡りなさい」と告げた。翌日ポンハルモニが祈っていると本当に海水が割れ、虹のように円形にカーブした道ができた。

ポンハルモニは珍島の方から歩き始め、茅島に逃げていた人々はポンハルモニの家族と一緒に銅鑼(どら)と鉦(ケンガリと呼ばれる伝統楽器)を鳴らしながら海の道を渡ってきた。家族との再会を果たしたポンハルモニは、「私の祈りが通じて海の道ができ、おまえたちとまた会えたからもうこれ以上望むことはない」と言うや、力尽きて死んでしまったという。それ以来、村の人々は毎年ここに祭壇を設け、ポンハルモニの魂が天に上った日として法事を執り行い、その儀式を「霊登サリ」と呼び始めたという。「サリ」とは、おはらいといった意味である。

一方「霊登」という言葉は済州島(チェジュド)をはじめ朝鮮半島の南部の海岸一帯で漁業や農業を助けてくれる風の神様の名前でもあるため、ここから「霊登サリ」という言葉ができたのではないかという説もあるようだ。いずれにしても「モーゼの奇跡」のごとく海が割れ道ができるのは事実だ。村人が元の村に帰って来てからは、村の名前も虎洞から再び会えたということで「回洞」になったそうだ。

半潜水式船舶に載せられたセウォル号が木浦新港に着くと、不明となっている9人の捜索がいよいよ始まる。歌でも歌われた「霊登サリ」の伝説のように、全員が再び家族の元に帰って来ることを心より願ってやまない。

■筆者プロフィール:木口政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大学校教授(2002年〜現在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。

■筆者プロフィール:木口 政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

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