日本僑報社 2017年1月5日(木) 12時30分
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マナーの問題がたびたび取り沙汰される中国。交通ルールを守らない人も多く、歩行者が信号を無視して無理な横断をすることが原因で死亡事故も起きている。甘泉外国語中学の陳韵さんは、「マナーの存在意義」について作文につづっている。写真は信号。
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マナーの問題がたびたび取り沙汰される中国。交通ルールを守らない人も多く、歩行者が信号を無視して無理な横断をすることが原因で死亡事故も起きている。甘泉外国語中学の陳韵さんは、「マナーの存在意義」について作文に次のようにつづっている。
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中国は何千年もの歴史を持っています。その輝かしい歴史の中でもっとも人々に重視されているのが礼儀、つまり人に対するマナーです。しかし、今の時代ではマナーというものはだんだん人々に見落とされています。車両の駐車問題、子どもの礼儀問題などいろいろあります。しかし、私が一番気になっているのは道を渡る時の公共マナーです。
信号のルールはもちろんみんな知っていると思います。赤の信号は止まれという意味で、緑は進めという意味です。子どもでさえ分かる簡単なルールですが、中国では知らない人が星よりも多いようです。知らないというよりも知らないふりをしていると言った方がいいでしょう。
私の母は普通の専業主婦です。毎日私を起こして、朝ごはんを作ってくれる母には本当に感謝しきれないほどの愛をいただいています。それに恩を感じています。しかし、そんな母でも信号のルールを「知りません」。
ある日、私は母と二人で買い物に行きました。楽しい買い物になるはずでしたが、母はこんなことをしました。まず、道路に車が走ってくるかどうかと確認しました。そして、赤信号なのに歩き出しました。私は驚きのあまり開いた口を閉じることもできませんでした。信号のルールを教えてくれた母が今赤信号なのに道を渡っています。しかも、その場では母だけではなく、周りにいる人たちはみんなそうしています。
その後、私は母になぜ信号のルールを守らなかったのかを聞きました。母は私にこう告げました。「両側に車が走ってないし、安全だし、時間の無駄にならなくていいんじゃないか」。私はその話に腹が立って、母のその行動を叱りました。しかし、母はまたこう言いました。「みんなそうやってるから別にいいじゃない」。そういうことだったのかと私は悟りました。
信号のルールを守らないというのはとてつもなく危険な行為です。それでは、なぜ、みんな赤信号なのに歩き出すのでしょうか。それはきっと母の言った通り、みんながやっているからです。つまり「集団心理」というものによるのです。一人が歩き出せば、また一人が歩き出して最終的にはその場にいる全員が歩き出すことになることでしょう。それが根本的な原因ではないでしょうか。
集団心理というのは実は非常に恐ろしいことです。しかも、中国の人口を考えると一層おぞましいです。この心理につられて、心にもないことをしてしまう恐れがあります。道を渡る時の問題のような「集団心理」による公共マナーの問題の例は、今の中国社会には、まだたくさんあります。例えば、列に並んでいるとき、知らない人が急に列に割り込んできたら、それを見た人は不公平に思うでしょう。ほかの人も割り込んだし、私が割り込んでも別にいいと思っているので、一人、二人、そして、みんなが割り込み始めてしまいます。
ですから今の中国人は懸命に経済能力を伸ばすのではなく、自分の心を強くすることのほうを先に考えるべきだと思います。確かに今、世界各地で中国人の活躍は誰にでも認められていますが、それだけではいけません。今の中国を例えるなら、中国の昔の言葉そのものです。「刺繍の入った草枕」。いくら外見上美しく見えるとしても、中身はただの草に過ぎません。ただきれいだけでは何にもなりません。ですから、今の中国人にあるべきものは自分自身を貫くという信念です。それがマナーというものの存在意義です。(編集/北田)
※本文は、第十回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報社、2014年)より、陳韵さん(甘泉外国語中学)の作品「マナーをもって、天下を歩く」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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