人民網日本語版 2016年12月22日(木) 7時50分
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活路を求めて中国にやって来る日本のエリート定年退職組がいる。
平均寿命が80歳以上の日本では、定年退職する年齢は60歳からとされている。「高齢者雇用法」は、60歳で定年を迎えた社員のうち、希望者全員の65歳までの継続雇用制度の導入を企業に義務付けているものの、経済界は、他の従業員の給料削減や若い従業員の雇用減少を招くと見ている。そんな中、活路を求めて中国にやって来る日本のエリート定年退職組がいる。環球時報が伝えた。
若い時に高度経済成長期を経験し、40年以上のキャリアがあり、海外に派遣されたこともある日本のエリート組は定年退職後も重宝される。
「ハロー!」。森田満さん(67)は取材の電話に出ると、英語で挨拶を交わした。現在、士徳古斯工業設計(深セン)有限公司建築設計部の部長兼営業部長を務めている森田さんは、東京工業大学を卒業してから、長年、建築業界の超大手・鹿島建設で働いていた。1985-96年には、ニューヨークやアトランタに派遣され、英語も流暢に話せる。これが、定年後に中国に来て働く際に非常に有用な武器となった。
「仕事が大好きで、あっという間に60歳になった」と森田さん。2009年に定年を迎えたものの、退職せずに会社に残ることを選んだ。それでも、担当する仕事がどんどん少なくなり、以前のようにバリバリ仕事をすることはできなくなっていった。そのため、2年後に、おもしろみのある会社に転職しようと決意した。
「これは本当に偶然で、縁があったから」。中国の会社に採用が決まった時のことについて、森田さんは、「ネット上で偶然、中国の会社が定年退職した日本人を募集しているのを見た。英語さえできればよく、中国語に関する要求は特になかった。今の会社はとても魅力的で、以前と同じ仕事ができる」と少し興奮気味に話した。
ただ、「同じ仕事」とは言っても、違いもたくさんある。「日本は、建築の面の規定が非常に明確で、厳しい。一方、中国では、融通を利かせなければならないことが多く、この点が一番大変」と森田さん。その他にも、中国の若者を育成するという責任を負い、「何をするべきで、何をしてはいけないのか、さらには、どのようにするのかなど、僕の数十年の経験を中国の若者に教えている」という。クライアントの多くが日本の企業であるため、森田さんは、それらの若者に簡単な日本語や日本のビジネスマナーなども教えている。また、毎週末には、「暇になるのが嫌」と、日本に留学を希望している子供に数学を教えている。
取材を通して、定年退職後に中国に来て仕事をするためには、▽ネット上の募集に直接応募する▽中国の友人にサポートしてもらう---の2通りの方法があることが分かった。斎藤実敏さん(71)は後者にあたる。
斎藤さんは、大連遠東数碼有限公司で顧問として働いている。「顧問」の仕事は忙しく、日本市場進出を拡大させるための計画を策定し、日本人のクライアントを接待するほか、中国人の従業員に日本語や日本のビジネスマナーを教えなければならない。
斎藤さんは大学卒業後、日立製作所に入社し、ソフト開発に従事。第一線で仕事をし、管理者としての経験も積んだ。06年に定年を迎えた斎藤さんは、すぐに中国の会社から声がかかった。「ある中国のソフト会社の社長が日本にわざわざ説得しに来てくれた。その時、その社長から『日本市場を拡大するのが夢。斎藤さんにそれを手伝ってほしい。明日からでも働いてほしい』と言われた」。そして、説得に応じて、翌年にその会社に入社し、3年後にさらなる活躍の場所を求めて今の会社にやって来たという斎藤さんは、「中国に来る前は、妻に『1、2年やったら帰って来るから』と話したが、結局もうすぐ10年になる」と笑いながら話した。
この10年、日中関係は非常に良い時もあれば、最悪の時もあった。「政治のことは分からないけど、民間において、僕はできることをやって、少しは貢献できたと思う。普段、中国人の同僚に交じって、心を一つに協力して仕事をしている。また、テニスクラブも立ち上げ、週末に、テニスが趣味の中国人と日本人にテニスを教えている。中国のテニスクラブにもコーチとして招かれた。教えている中国人の多くが日本語を話せる。中国人でも日本人でも、みんな家族のように感じる」と斎藤さん。
中国で大きな貢献をしている日本のエリート定年退職組の数に関する公式データはないものの、彼らは互いに連絡を取り合い、交流も行っており、必要な所に行って仕事をしている。現在、そのような日本人が最も多いのは、深センや東莞、広州、上海、蘇州などの中国南方の沿海都市だ。そのような日本人は、中国で楽しく仕事をしながら暮らしている。唯一の悩みと言えば、言葉の壁や飲食店での注文などで、初めは現地の食べ物も食べ慣れないことだ。
森田さんや斎藤さんは今のところ、日本に帰る予定はないという。斎藤さんは、「同じ仕事でも、中国でもらえる給料は日本の半分。普通の日本人は定年退職後に日本で仕事をしたがり、海外に行く人は少数。でも、中国は僕にとって第二の故郷になっている。あと数年はここでがんばりたい」と話した。(提供/人民網日本語版・編集KN)
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