日本僑報社 2015年11月17日(火) 17時46分
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中国では毎年、国慶節の大型連休に海外や国内で旅行を楽しむ人々が大勢いるが、国内外問わず、必ず問題になるのが旅行者のマナーの問題だ。瀋陽薬科大学の王淑園さんは、中国人のマナー問題について分析した。
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中国では毎年、国慶節の大型連休に海外や国内で旅行を楽しむ人々が大勢いるが、国内外問わず、必ず問題になるのが旅行者のマナーの問題だ。瀋陽薬科大学の王淑園さんは、中国人のマナー問題について次のように分析している。
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中国が大国になってきた現在、国際社会で中国人の姿をよく見かけるようになりました。会社員として、観光客として、あるいはビジネスマンとして、中国人は今や世界の隅々で活躍しています。それにともない、中国人が海外旅行の際、ごみを勝手に捨てたり、みだりに痰を吐いたり、古い建物に「ここで遊びました」などと落書きした話をよく聞くようになりました。本当に残念です。
中国は総人口13.7億の中で6.7億人は農民で、大学に通った人は約1.2億人にすぎません。また、改革開放以後、初等教育しか受けていない人、さらには学校へ一度も行ったことがない人も改革の潮流に乗って、リッチマンになった人がいます。それらの人の中には旅行をしているときに、粗暴なのか不注意なのかわかりませんが、マナーの悪いことをしています。もちろん、高等教育を受けたという人もたいして違いはありません。
どうして、中国人はそんなことをするのでしょうか。おそらく、国民のマナーの意識が低いということが原因です。「誰にも見つからなければ、少々マナーは悪くてもかまわない。責められたとしてもたいして損はしない」。そんな軽い気持ちで、公共の場所でわがままにふるまっています。
中国人は内心での民族主義が強すぎます。しかし、私から見ると、この民族主義は本物の民族主義とは違うと思います。本当の「民族主義」とは、事をするかしないか、どう思うかは、民族全体にとって利益になるかどうかで決めることです。これと公共の場所での行動とは互いに矛盾しません。例えば、他人から非難されるとき、おおかたの中国人は激しい反応を示しますが、アメリカ人はあまり感情的にならない気がします。言葉を変えて言えば、中国人には自信と寛容が足りません。
もう一つの例をあげると、皆さんご存知のように、古代の中国は現在に比べると、ずっと輝いています。しかし、中国人は祖先のことを自慢しますが、現在の自分のことは一つも言いません。自信のないことの端的な現れではないでしょうか。また、中国人は気楽な民族で、例えば、時間の観念がないというのか、時間をあまり気にしないところがあります。
孔子は「吾日に三度吾を省みる」と言いました。でも、実際には、多くの人はほかの人を責めても、自分のことは反省しません。これは中国人が誤りを犯した時に常に取る方法です。「自分の非を認めることは、自分の弱さを認めることだ」。中国人は内心でよくそう思っています。でも、自分の非を素直に認めるのは勇ましい行為です。非を勇敢に認めることで、一歩ずつ進むことができます。中国人はもう反省し始めています。未来の中国人はきっと世界に通用する人になるものと思います。(編集/北田)
※本文は、第十回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報社、2014年)より、王淑園さん(瀋陽薬科大学)の作品「公共マナーと中国人」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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